「ゼーガペイン」繰り返す夏
「アニメと戦争」という本があったらぜったい買うんですが。だってアニメって戦争ばっかやってるし。
世相と文化をムリに絡め合わせて批評すると双方ともねじ曲がってしまう可能性大いにありですが、現実の戦争の変化と、アニメの中の戦争の変化を並べて観察できたら面白いと思うのです。
ところでゼーガペインというアニメが面白いです。
http://www.zegapain.net/top.html
一見普通のロボット戦闘SFアニメなのですが、ひとつとんでもない設定がつけ加えられています。
それは、「実は、戦っている主人公と仲間たちは、現実では全て死んでいて、今、戦っている彼らは全てコンピューターに残ったデータである」というものです。
彼らが戦っている敵がいったい何なのかは未だ謎なのですが、その敵によって人類は滅亡させられ、残っていたデータが敵に戦いを挑んでいるそうです。しかも、主人公たちは自分たちはすでに死んでしまっていて、今ここにいる自分はコンピューターのデータであることを自覚しながら戦い続けているのです。
データならいくらでも再生できるじゃないか、と思わせておいて「データの劣化による死」というものも存在します。
また、一度敵にやられて死んだ後、再生はしたものの、以前の記憶が消え去っていて、かつての恋人にすっかり忘れ去られてしまった、という状況もあり。
救いがない。
舞台は夏で、彼らは高校生です。もちろん、夏というのもデータが作り出した空間にすぎないのですが、作品内に流れる静かな夏の空気に心を揺さぶられます。始まった瞬間から終わりを想ってしまう季節というのは夏だけではないでしょうか。しかし、作品の中で夏休みの終わりに、世界が消滅もしくはリセットされていることをほのめかす描写もあり、油断がなりません。
敵は何者なのか? 彼らはどうなってしまうのか? ラストが気になります。
萩尾望都の「金曜の夜の集会」みたいに、閉じられた未来を前に、またあの夜を何度でも繰り返す、なんてラストじゃないといいなあ。
コピーは「消されるなこの想い 忘れるな我が痛み」。最初は「気障だなあ」と思っていたこのコピーが見ているうちに胸にしみるようになります。
それにしても「会社を辞めて、何か変わりましたか?」
と問われると、「そうですね、時間が余っているのでアニメを見るようになりました」と言ってしまいそうな今日このごろです。
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