「地球へ…」アニメ放映初期に、スタッフが繰り返しアツイ脚本会議を重ねているという話を聞きました。そこから私がイメージしたのは、「攻殻機動隊SAC」「精霊の守り人」の監督をつとめた神山健治が採用しているという“脚本合宿”でした。
「精霊の守り人」のNHKBSでの放送に合わせ、「にんげんドキュメント」で、神山監督の製作現場に密着し、具体的なディスカッションの内容も含めて放送したことがあり、脚本合宿はその中で行われていた脚本の作成方法です。複数名の脚本スタッフと繰り返し言葉を重ねて、10時間以上も会議を重ねながら綿密に物語を構築していく様が面白く、「なるほどアニメのお話作りにはこんな方法があるのか」と感心したモノでした。
さて、この番組、みながら「おっ?」と思った瞬間がありました。
ある脚本家が「主人公バルサが、一瞬弱さや迷いを見せる場面を作りたい」という提案をして、現場のほかの脚本スタッフはそれにノッたんです。「あ、そういう場面あっても面白いよね」と。
ところが、監督が「いや、もう一度考えてみて。本当にそれでいいのか?」と問いかけ直したんです。
そして、最終的にこの迷いを見せる場面はカットされ、むしろあっさり苦労を引き受けるバルサのたくましさが前に出るエピソードに書き換えられていました。
その後、オトナアニメvol4の監督インタビューで、「脚本会議をすると言っても最終的に決定するのはボクですから」というようなことをおっしゃっていて、「なるほど。複数人で作る場合には最終的にストーリーを統一されるための権限者が必要なのか」と思ったのでした。
で、この間弟に教えてもらったのが、アニメスタイルに載っていた本読み(脚本会議)に関しての意見。シナリオえーだば創作術(首藤剛志)より
http://www.style.fm/as/05_column/shudo89.shtml
脚本は流れがあるから、言われた部分を直せば、全体が変わってくる。
意見や注文をつける人達も、脚本全体から見てそれを言っているのかどうか分からない時がある。
もしかしたらその場の思いつきの時もあるのだ。
そんな意見や注文に、脚本が左右されるのは困りものである。
http://www.style.fm/as/05_column/shudo91.shtml
読みに参加するスタッフが、それぞれ原作を読んで、それぞれのイメージを頭に描いている。
それぞれのイメージと違う事が脚本に書いてあれば、それぞれの意見や注文が飛び交うのは当然である。
それを避ける手はひとつだけだ。
原作どおりに脚本を書くことである。
脚本に対して文句が出ても、「原作はこうなっていますから……そのとおりにしました」で、逃げる事ができる。
「地球へ…」の脚本会議は、察するにまさにアニメスタイルに書かれたとおりの状態だったんでしょうね。
アニメーションノートのインタビューで、ヤマサキ監督がコンセプトデザインの出渕氏の発想力に対して、「すばらしいですよね」と評していて、それ見た本編の微妙な出来に異論があった私は「監督がスタッフを太鼓持ちはまずいんでないの」と思ってたんですが、監督にはきっとあちゃこっちゃから出てくるアイディアを作品を完成させるために取捨選択する力がなかったんだろうなあと。脚本家の方の仕事内容を見る限りでは、監督の方が業界内の実績はなさそうだったし。
地球の座標がわからないっていうのは出渕氏のアイディアらしいですが、その設定本編にまったく活かされてませんでしたし。思いつきですよね、きっと…。
高名なアニメ監督って「仕事場ではむっちゃくちゃエゴイスト」だって聞くことが多いけど、(宮崎富野出﨑とか)アニメ制作という厳しい現場で一つの作品を作り上げるには、ある種のエゴを貫き通せる人でなくてはいけないのかもしれませんねー。
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