さよならに代わる言葉を
高島屋のエレベーターに乗り込んだら、細身眼鏡でオシャレ系の感じのよさそうなお兄さんが、ベビーカーをひいていた。
お兄さんと赤ん坊に話しかけるおばあさん二人。なごやかなエレベーターの中。
6階、子供服売り場で降りるお兄さん。
見送るおばあさんの発した言葉が「お幸せに」。
なるほど…、そういう使い方があるのか。しかしエレベーターで同席しただけの家族にその言葉は豪奢過ぎやしませんか。
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高島屋のエレベーターに乗り込んだら、細身眼鏡でオシャレ系の感じのよさそうなお兄さんが、ベビーカーをひいていた。
お兄さんと赤ん坊に話しかけるおばあさん二人。なごやかなエレベーターの中。
6階、子供服売り場で降りるお兄さん。
見送るおばあさんの発した言葉が「お幸せに」。
なるほど…、そういう使い方があるのか。しかしエレベーターで同席しただけの家族にその言葉は豪奢過ぎやしませんか。
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健康診断で採血。
注射針を見て子供に還る。ううっ。いやだなあ早くすまないかなあと思っていたら思わず目をぎゅうっとつぶってしまった。小学生のようだ。
たぶんあのときの私を外から見たら、目はカラスの足跡の形をしているはず。
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お利口さんの少年マクシミリアンが、離婚済みの父親と、母親が再婚相手と旅行に行っている間だけ同居するところからはじまります。
マクシミリアンは、ラクダを連れての巡業を続ける父を煙たがっていますが、次第に父と父を愛する人々にうちとけてくるようになります。
よくあるパターンですが、この作品の面白いところは、途中で出会う出会うサブリナという少女と彼女が繰り返す「ふりをする」という言葉です。サブリナは規格外れと称して、事故で腕を切断した少女や、シャム双生児に関する記事を集めている女の子。
「どんな人だって、ふりはしているものなのよ」という思想の彼女は、マクシミリアンの行く先々に登場します。
物語半ばで、彼女とその母がどうやら行く先々のパーティー会場にもぐりこみ、ささやかに宴会に加わっているらしいことがわかってきます。
しかし、サブリナは臆することもなく「ふり」を続けます。
通常、何かの「ふり」をすることはよくないこととされていますが、この作品ではサブリナのあつかましくも堂々とした態度と、ラストのしかけがふりをすることの多様さを考えさせる作りになっています。
また、キャンピングカーで暮らす家族や、名門校の様子など、アメリカの風俗が細かに描かれていて地味ながら読み応えのある作品になっています。
追記
商品リンク貼ろうと思って見てみたら、この作品誤訳が非常に多いとのこと。熱心な読者の方が岩波にかけあって、改訳されたそうです。
普段はあまり翻訳を意識しないのですが、たしかに繊細な物語の場合は、訳者のミスリードで作品が大きく変わってしまいますね。「魔女ジェニファとわたし」も翻訳家の読みがカニグズバーグの意図と正反対なのではないかと、赤木かん子が指摘していましたが。
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ニュータイプが大人向けアニメというカテゴリで日テレ火曜深夜枠とノイタミナ枠を特集。
それぞれの枠のプロデューサーが、放映中の作品へのコメントを中心に、自らがプロデュースする枠のコンセプトを語ってました。ノイタミナ枠の代表は墓場の鬼太郎をプロデュ-スした松崎容子氏。日テレ火曜深夜枠の代表はカイジをプロデュースした中谷敏夫氏。
面白いのは、両名ともに「アニメは表現手段にすぎない」という主旨の発言をしながら、「アニメでしかできないこと」について自覚的だったこと。
特にノイタミナプロデューサーの松崎氏の必ず何か新しい目標設定しているという話は面白かった。パラキスだったらデザイナー使うとか、モノノ怪だったらアニメという表現手段の追求とか、のだめだったらドラマとの連動とか。
確かにノイタミナの作品って必ず次世代にノウハウを残せるような新しいことやってますね。もやしもんでは菌のCGとか、働きマンでは服装の追求とか、のだめだったら音楽の再現の追求とか。ああいうのやっぱり意図的に起こすものなんですね。
ビジネスの仕掛け人としての二人の発言に、共通項が多いところが面白かった。
誰が見ても面白いものを目指しているというのが感じられました。
たかだか4pだけど、この特集わりと面白かった。
深夜アニメのはじまりがエヴァの再放送だったとか知りませんでした。
しかし根底には現在アニメというメディアが、オタクと子供だけが見るものになっているという問題がある気がします。そもそも大人の反語は子供のハズなのに、この記事の文脈だと大人の反語がオタクに見えるという奇妙なことが…。
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死刑制度の存続廃止について性急な返答は出来ないけれど、この本を読んで感じた抽象的な疑問を一つとりあえず書き留めておく。
死刑は社会制度を維持するため、凶悪犯罪の抑止のため、遺族感情を尊重するための制度だと言うけど、それならフィブリノゲン製剤を放置した旧ミドリ十字などの方が死刑という制度にふさわしいんじゃないか。
死刑が果たして極刑にふさわしいのかどうかはともかく、人が人を裁くことの曖昧さを考えると、「あると何となく安心できるけど、細かいこと考えるとめんどくさそうだし、おれは死刑にされるようなことないだろうからとりあえず存続でよくね?」みたいなノリで支持されてるであろう制度にあんまり諸手をあげての賛成はしたくないな…。
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ルー大柴の言語センスを再現するルー語変換というツールがあるのですが、そこに「死ねばいいのに」と入力すると「ダイすればいいのに」と変換されます。
「ダイすればいいのに…」。便利すぎる。もう嫌な目にあったら速攻で「ダイすればいいのに…」。ハチクロのドラマとか観て「ダイすればいいのに…」。スタバの新作デザートボルケーノを食べて「ダイすればいいのに…」。電車の中ででかい音でアイポッドを聞いている成人がいると「ダイすればいいのに…」。
たのしすぎる。
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輸血を受けたことのある人間は献血ができないそうです。今日はじめて知りました。献血は気軽にいい人気分を味わう術だと思っていたのに…。社会貢献の機会を失った。
ショックだったので丸木俊美術館存続募金をしてきました。でも53円だけ。
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