「オルフェウスの窓」を買ってみました。
10年ぶりくらいのイッキ読み!
なんかこう…、俗っぽい話でした。さすが池田理代子。
という言い方もちょっとあんまりだからもう少し整理すると。
えー、私中学生の時に「ベルばら」でまるで正義の味方のように描かれているロベスピエールが、恐怖政治を行って処刑されたってのを聞いて「池田理代子はきっとほんとは“昨日までの正義の味方が明日は殺人鬼になるような革命マンガ”を描きたかったんだろーな」とばくぜんと感じたことがありました。歴史好きの嗜好ってそういうもんだから。現実のままならなさに萌えるのが歴史オタクというものなのですよ…。
だから高校生になって、ボリシェビキ、メンシェビキ、王党派、民衆が足を引っ張り合うロシア革命が描かれた「オルフェウス」を見た時は「やっぱし!」と思いました。で、主人公が男装の麗人(ただし周りの人間にその事実を隠している)っていう「ベルばら」と同じモチーフを使っているっていうことは、マンガっぽいシンプルな造形の登場人物の「ベルばら」とは違う、もっと人間の内面に踏み込んだ話にするつもりなんだろうなー、と思っていたわけです。
愛蔵版の帯に「私にとって記念すべき最後の少女マンガです」とかいう主旨のことがかいてあったし。
そしたら、同情でうっかり娼婦と結婚して生活苦に悩む青年とか、義母とつきあって殺されちゃう美形とか、彼氏に振られたと勘違いして不倫に走っちゃう若い娘さんとか、非業の死を遂げた初恋の子の面影を求めて若い娘さんと不倫しちゃう妻子持ちとか、横恋慕のあげく嫉妬に狂って仲間を売っちゃう革命家とか、愛した男を手放したくないもんだから、男の仲間を陥れて孤立させちゃう女とか、「もうもんたに相談しろ!」みたいな話のオンパレードで「池田先生的には大人向け展開にするってのは昼メロにするってことなのかしら…」としみじみ。「アラベスクが、ポーの一族が、風と木の詩がはじまっていたというのに先生ったら…」とかよけいなことを心配してました。
おまけにオチが“力尽きて収集つかなくなったからとりあえずここで終わり!”てなかんじで、カタルシスのかけらもない読後感にあぜんとしたものです。
しかしあれから10年近い月日を経て読み返してみると、これはこれでおもしろいなあと。昼メロだと思った部分は今読み返しても昼メロでしたが、読み返してみると一応計画通り落ちてることがわかりました。最初から運命に翻弄されて力尽きる恋人たちの話だったみたいですね。最終話は今読んでもやっつけ仕事にしか見えませんが、作者が描きたいものを描ききって終わってるんだからいいのかなあと思えるようになりました。
で、その描きたいものって、やっぱ革命だったんですね。ロシア革命の悲惨さを描く池田理代子の筆致はほんとに冴えてます。
たとえば主人公のアレクセイ、当初属していたメンシェビキを捨てて、民衆による武力革命を実行するためにボリシェビキに入る。しかし、自ら信じて助けようとした民衆に、祖母と自分を育ててくれた召使いたちを惨殺されてしまう。
すごいわかりやすい革命の悲劇!
作者が見せたがっているものがストレートにこっちに伝わってきます。起こってることは悲惨なんだが気持ちいい。なんだかんだ言って、歴史の中にダイナミズムのある悲劇を組み込むこの力はすごい。
あと、好きな場面。後半の重要人物の中に、王政復古に失敗して自殺する軍人がいるんですが、そこんち、妹は結局兄の死後に亡命するんですが、弟は自らの意志で革命軍に加わるんですね。
そして、亡命のための国境越えの列車で、妹は検問係として立ちふさがる弟と邂逅するわけです。
自分を見逃してくれた弟の姿を思いながら、妹が「わたしは…… 旧世界の形骸としてこうして追われてゆく…」って言う場面。ここはよい。「あ、歴史が変わっていく瞬間がマンガの中に描いてある」って思いました。
明らかに投げっぱなしになってる伏線や設定はどうしたとか、あの終わり方は読者に失礼なんじゃ…とか、人物造形の底が浅くて物語の悲劇性に追いついてないとか、いろいろ思うことはあるけど、上に書いたような革命の描写に関して言えばほんとに傑作だと思います。歴史を物語として読ませるって簡単そうで難しいのに、それができてるからなあ。
レーニンを人の良さそうなおっさんに描いてることとかに議論の余地はあろうが、ここで革命の歴史的意味を追求するときりがないので割愛…。
しかしこの作者は登場人物を不幸にする時にほんとにいきいきしますな…。