2008年5月20日 (火)

美味しんぼの冒険はまだまだつづく!

美味しんぼの雄山と士郎が和解したというので見てみた。

……。

あれだけひっぱってきた確執をろくに盛り上げる努力もせずに終わらせた雁屋哲はある意味すごいかも。花咲アキラも表情を描く努力を放棄していてハンコ化ここに極まれりという感じだった。エジプトの壁画かよ。

そういえば竹熊健太郎が「ゴルゴ13はいつ終わるのか?」で最終回は添加物大好きマンや遺伝子組み替えマンと戦うために、二人が共闘するんじゃないか?と書いていたけど、ラストはどうなるんだろう。

新興宗教のパンフみたいに山岡たちのおかげで暗い日本の地にも光が射しました。これからも彼らのおかげで日本は平和でしょうみたいなオチになりそ。

なんだか言いたい放題になってしまいましたが、昔はけっこうまじめに山岡と栗田さんの仲を心配していましたし、内容も信じてました。スーパーの店頭に曲がったキュウリが並ばないのは消費者の高級嗜好のせいという誤った認識が広まったのも美味しぼの影響。しかも初期の美味しんぼってけっこう劇画調なんですよね。

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2008年5月11日 (日)

手塚治虫文化賞特別賞

手塚治虫文化賞特別賞は大阪府立国際児童文学館ってやったあああ。

藤本さん(推薦人)ありがとうございます~。

文化賞、もやしもんの大賞にちょっとびっくり。海街がもらうと思ってた。アニメがヒットした時も思ったけど、もやしもんにはメジャーになる力があるんですね。アニメは、普段マンガもアニメも対して興味がないような、20~30代女性がけっこう見ていた印象があります。友人の書店員とか「帰ってきてからもやしもん見ると癒されるよ~、菌かわいいよ~」って話していてちょっと意外だった。私は菌がかわいいと思ったことないんですよね…。

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2008年5月 3日 (土)

放流した鮭が帰ってきた

一箱のレポートの前にマンガの感想とか。

知り合いの書店員さんに岩館真理子の「見上げてごらん」をお貸ししたら「男性陣が何のとまどいもなく女装するところにすごく違和を感じた」というお答えが。

それは考えもしなかった。

「ところで、星星峡に岩館真理子が取り上げられてましたね。それ読んで、くらもちふさこの「駅から五分」も読んでみたんですけど、あの人あんなにエッジなんですか?天然コケッコーとか書いてるのに」

「くらもちふさこはエッジですよー。コケッコーだって読むとエッジですよ」

「やまだないととかもそうだけど、省略が多いじゃない。あれに最初ちょっと手こずった。あの省略の仕方が男性になるとよしもとよしともになるのかなーとか思いました」

その発想なかった!

なんだか放流したイクラが鮭になって帰ってきたかのような感動でした。こっそりHさんありがとう!あと、言い忘れたけど、星星峡で一緒に紹介されていた樹村みのりもいい作家です…!ここで書いてドースルですが。

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2008年4月 3日 (木)

「白土三平論」

すさまじいおもしろさ。うっかり歩きながら読んでしまった。

白土三平が政治的な存在であった時代のことや、カムイ伝以降の作品のこと、途中からネームと下書きを主な仕事とし、ペン入れは他の作家に任せていたことなど、分析以前の事実だけでも強烈に刺激的だった。

四方田犬彦の分析、特にほとんど省みられない後期作品の分析も面白かった。四方田の分析が必ずしも作品の真をついているわけではないのだろうけど、こちらの卑近な読みではたどり着けない深度を作家が獲得していることもあるのかと思ったり。

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2008年2月24日 (日)

「3月のライオン」

まだお話が始まったばかりでなんとも言えないのだけど、「はぐの男版だね!あの子将棋辞めないってオチなんでしょ、きっと」という弟の言葉に納得させられた。たぶん弟の言うとおりになるんだろうなと思う。

ところで新作を読んで改めて羽海野チカに対する認識が固まったり。

ハチクロの時もそう思ったけど、みんな相手の気持ちがよく理解できてるよね!「エスパーかよ」っていうくらい。

マンガなんだから、理想の関係というのを描くためにある種のファンタジーを描くのはちっとも悪いことじゃないんだけど…。羽海野チカの場合は、他者がすごく丁寧に描いてあるのに、それを理解しえるまでの過程が急ピッチでちょっと納得いかないのだな。

「そんなにばっちり理解できるのならそれもう他者じゃないじゃん。さっきまで他者だったのに、いつのまにか少女マンガお得意の“実は全部同一人物の一個性”になってるじゃん」と思ってしまう。

そしてそれにイライラするのは「あなた人間はわかりあえない派の岸に立ってるのに、どうしてマンガはわかりあえる派で進むんだあ」と思うから何だろうな…。まあ羽海野チカが「わかりあえない派」に見えるのは私の主観なので何とも言えませんが、「ぬるい!浅い!」という主旨で羽海野チカ批判をする人たちが、それなら切り捨てればいいのにグダグダ彼女の作品を読み続けてるのは、そういうところにあるんじゃないかという気がします。

羽海野チカのマンガは面白いし丁寧だし必死だし甘くないし、すごく好感がもてるのですが、そのへんを「もう一歩踏み込んでくれ…」といっつも思う。

追記

わかりあえない派というか、世界はそんなに優しくないって知ってる派というか。

追記

単行本買ってきましたー。読み返して思うことがあったので、また感想足すかも。

追記

何となく気がついていたのですが…、グーグルで「羽海野チカ、同人」で検索するとうちのブログの昔の記事が上位に来てしまうのですね。なんとなく申し訳ないような…。まんだらけ池袋店に行けば5千円~1万円とかいうあちゃーな値段で売ってますよ。つか、この記事どっかに晒されたりしてたのかな?

ついでなので羽海野チカについて思っていることを書いておきます。

嫌いなわけじゃないんだ…。むしろどっちかというと好きなんだけど、もやもやするんだ…。

具体的に言うと、森田のお兄さんの話とか。単行本手元にないのでちょっとうろ覚えなんですが。いずれにしろ、「傷ついたお兄さんのそばには、実は支えてくれる人たちがいたんだよー」というオチじゃないですか。

たしかに少女マンガだから「実は隣のあの子が青い鳥」は常道さ!ああ、むしろ正しいさ!

でも、ほら羽海野チカってきっと青い鳥が一匹もやってこないで一人でとぼとぼ歩いた日を知ってるタイプだと思うんだよね。だから、むしろ「青い鳥は来なかったけどとりあえず生きないと」みたいな話のほうが…よみたいんだ…。あ、竹本くんとかそうなのか?いやでもまだまだ青い鳥が光臨している気が。

来なくていいよ!青い鳥!

しかし無理矢理っぽくても必ず青い鳥がそばにいるあたりがハチクロのメジャーなとこなのかなとも思う。最終的には善意の人しか出てこない、完成した世界。そういう暖かい世界が作りたかったんだよね、きっと。インタビューとか読んでても思う。でもやっぱりハチクロはそのせいでつくりものっぽく見えるんだよね…。

そのへん3月のライオンはどうなるんでしょうか…。

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「シグルイ」10巻

 久々に見たらフェチマンガになっててびっくりした。

 人間の腕の切断面とかきっとわくわくしながら描いてるだろうなあ。こんなのが一般誌に堂々と掲載されている、マンガというジャンルはほんとに野放図だ。

 そして弟が買ってきたチャンピオンレッド本誌のシグルイを見たら(下品を通り越してるので反転)“交接すると女性器が肥大化して男性器化する”という女の子が出てきていてそれはもはや特殊エロマンガじゃないだろうかと思った。というよりチャンピオンレッド自体が特殊フェチ雑誌っぽくて、快楽天(まだあるのかな?)とかのほうが健全な気がしてきた。

 まあフェチはフェチでいいんだけど、話の進みが遅くなるのが辛いなあ…。

 弟の「牛股の分際で人間に戻るなんて」という言葉に笑った。「あそこまでやっといて最後に“牛股も人の心を持ってた…”なんてことにほだされかたしちゃだめだよ!」だって。

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2008年2月20日 (水)

「ジョニー」

最初の数話を読んで、猫を猫可愛がりするだけの話なのかなと思いましたがそんなことはありませんでした。

鈴木志保らしい揺るぎない切なさが作品にあふれています。

この人の面白さはあまりにマンガそのものの面白さと密接に関わっていて、言葉で説明するのが難しい。しかし、キザを承知で表現するなら、谷川俊太郎が表現した「透明なかなしみ」という感情を、マンガの形で結晶化させたのがこの人の作品と言っていいのではないでしょうか。

余白の白がまるで心に切り込んでくるように感じられる、不思議なマンガです。

PS さっきリンク作るために「売れている順」で検索したらずっと下の方にあった…!

表紙を見て「あーファンシーグッズな感じなのかなー」と思ってる方が多いのかな? いや! 相変わらず切なくて美しいですよー。でも他の作品にはない可愛さもありますよー。ポプラ社がんばって宣伝してー。

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2008年1月31日 (木)

秘密がアニメ化…!

コンビニに清水玲子の秘密があったので思わず手に取る。白泉社の単行本でA5サイズで少女マンガがコンビニ置きってなぜ?と思ったらアニメ化するんですね。

しかも日本テレビ4月からマッドハウス製作って…。しかも2クール。これはカイジの後番は秘密と言うことか?

日本の誇るドS人情家作家のもっともぐろいマンガが続けて公共の画面にということですか。うーん気になる。

でもカイジですら規制がどうこうって問題になってるのに秘密とかTV放送できるのかな…。

追記

上の文章の影響で清水玲子で検索された方がいらしているようなので、大幅に訂正。カイジの後は秘密?というのは完全に私の思いこみで情報元などはいっさいありません。

ただ、秘密のアニメ化というのがあまりに挑戦的な企画なので、「ということは…」という印象を持っただけです。

実は秘密アニメ化というのは、先週の朝日新聞のコミックブレークで知っていたのですが、きわどい描写の多い作品なので、やるのであればシグルイのようにWOWOWか、もしくは猟奇的な描写のない最初のエピソードだけを単発での放映、かと思っていました。それが地上波での放送となると、これは企画側が相当頑張ったか、原作を骨抜きにされたかのどちらかしかない。

しかし、製作会社は天下のマッドハウス。…ということは原作通りやってしまうのか→原作通りやったりしたらよっぽど局に理解がないと通せないと思うけど…。日本テレビ?→ということはまたあの頼もしいけどやかましい宣伝部長の中谷プロが関わってるのかな?

という順序で考えた結果「じゃあじゃあカイジの後番は秘密なのかも!」と考えた私の希望的観測です。別に中谷プロがまた吹いてるのを見たとかそういうことは一切無いんで。

でもカイジの後番が秘密だったらなんだか個人的にはうれしいのですよ。

どちらの作品も、普段手を出さない人たちに知ってほしい作品なので。カイジはアニメ化で福本ファンをかなり増やしたみたいだし、秘密も少女マンガだからっていう理由で読んでいなかった人たちにぜひ知ってほしいなあ。もっともマッドハウスだからっていい作品になる保証はないけど…。

さらに追記

やっぱり火曜深夜みたいですね。カイジじゃなくてネウロの後かもしれないけど。ところでこれもwikiに書いてあったんですが、日テレ火曜深夜アニメ枠ってスポンサーがいないそうですね。ということは他の枠に比べて、あれやこれが多少放送しやすいってことなんでしょうか。耳や指があんなことになったりや、猟奇殺人犯の脳内おひろめは放送できるのか…。

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2008年1月28日 (月)

「聖☆おにいさん」

毎日更新と誓ったのに昨日我が家に犬がきたためにさっそく更新しそびれてしまいました。

そんなこんなで家には昨日もう一つ「聖☆おにいさん」がやってきました。

下界に休暇にきたブッダとイエスが立川でごろごろ生活するという奇妙でバチ当たりなマンガです。

神様のお話だけあってボケもつっこみもスケールが大きく、一方で立川周辺でうだうだしているだけの話なのでみみっちくて、そのギャップが非常に面白いです。

例えば、商店街の福引きを前にして、どちらが運がいいかを議論する二人の会話。

イエス 「たとえば……そうだなぁ

死に様的には……私の方が絶対ツイてないよね……?」

ブッダ 「え~~だったら私なんてキノコで食中毒だよ?」

ブッダ 「あれからキノコトラウマで……

産地のしっかりしてるお高いのしか買えなくなっちゃったからね!」

ボケとつっこみの振れ幅の大きさが尋常じゃありません。

表現力もすごい。毎日働きもせずにぶらぶらしている二人をニートではないかと怪しんだ大家さんに対して、イエスが返した答えが「手に職系の仕事なんで…」。神って職人技だったんですか!

もともとヤングガンガンで活躍中の方なのですが、いかにも今時っぽい絵柄がキュート。Tシャツ愛用のイエスとブッダが二人とも妙に愛らしくて、何度も読み返してしまいます。たぶん誰が読んでも笑えるギャグマンガ。しかし日本以外の国ではとてものっけられそうにないですね。

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2008年1月24日 (木)

よしながふみが12分の3

いつの間にかこんな企画が!

書店員コミック担当者が選ぶ「マンガ大賞」。

面白いのは最新刊が8巻までってところかな。「思い立ったら手にとってもらえるボリュームです」っていうのが書店サイドの意見らしい。

それにしてもノミネート12作品中3作がよしながふみ(「大奥」「きのう何食べた?」「フラワー・オブ・ライフ」)ってのはすごい。

ところで今日は弟(次男)が月一連載の「きのう何食べた?」のためだけにモーニングを買ってきた。料理上手の弟いわく、「きのう何食べた?」は出てくる料理を作りたくなる作品だそうだ。

なぜかというと、使われる食材があまり多くないからとのこと。「クッキングパパとか見てておもうのは、あんなに食材山ほど用意して、切ったりしたくないんだよね。『きのう何食べた?』は、あんまり使う食材も多くないし、手順も多くない。それにメイン作りながら平行して簡単な副菜作ったりしてるでしょ。だからまねて料理したくなるんだよね」

なるほど。

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荒唐無稽を支える骨

賭博黙示録カイジ中の遠藤さんが薔薇の花束を持ってくる場面(なぜかアニメでカット)を見返してみて、薔薇のリアルさになんだか奇妙な感動を覚えた。

カイジはじゃんけんカードを使ってギャンブルという限定じゃんけんとか、人が鉄骨の上を歩かされる人間競馬とか、落ちたら死ぬ高層ビルの間を歩く鉄骨渡りとか、タイトル聞くだけで荒唐無稽な、いわば「人が死ぬキン肉マン」なのに、奇妙なほど現実や日常に切り込んでくる力がある。それがやっぱり絵にも現れてるんだなあ…と。

だって、人間これなのに背景や小物はこんなに精緻に書き込んでるって、バランス悪いと思うんだよね。だけど、この絵だから、相当の残酷描写も読めてしまう。一方で、このリアルな背景があるからこそ、荒唐無稽な世界観なのに、現実から浮き上がらない。マンガというのはほんとに微妙なバランスで成り立ってますね。

Baranobamen_2

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2008年1月19日 (土)

はぐはぐタイフーン

昨日一昨日と弟のハチクロに関する考察を聞いた。

今まで聞いたどんな意見より面白く、かつ正鵠を得ていたので、まとまったらあげておきたい。とりあえずキャラ立ってないとか言われてたはぐの存在をきちんと規定して、肯定的に評価していた点が○。あと、高く評価しながら羽海野チカのマンガの巧さとずるさについて語っていた点も○。

弟の考察を一言で表すと「ハチクロは女子という巨大台風に男子が振り回される話である」という感じ?

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2008年1月12日 (土)

ハチクロのドラマを観ていて思い浮かんだことつらつら

 ハチクロドラマがはじまりましたけど、評判はいかがなもんでしょうか。

 私は第1話の最後の5分くらいしか観ていないのですが、なんというかちょっとたるい作りになっていたような気がします。ハチクロの砂糖菓子っぽい部分をそのまんま実写化してしまったために間の抜けた印象を受けるというか。ドラマの中に、はぐが桜の木の下でなにかをガリガリ描いているシーンがあったんですが、それが悪い意味でマンガの様で「え…これ笑うとこ…?」とか思ってしまった。役者の演技も、画面の作りも、セリフも、妙につくりものめいて見えてしまったんですよね。

観ながらなんとなく思ったのは、ハチクロにはやっぱり毒が必要だなということでした。5分しか観ていないのに言うのはなんですし、今後の展開次第では大きく変わるのかもしれませんが、いまのとこドラマはどこか平和すぎる感じがする。

観ていませんが映画には多分、いやきっと毒がある。だって蒼井優だし。CM観た限りでは画面全体にどこか寂しそうな感じが漂ってるし。アニメは原作の見事なまでに忠実な再現でしたので、あまり議論しようがない感じですが。アニメは砂糖菓子成分盛りだくさんだった気がしますが、アニメというメディアがそもそもつくりものなのであんまり気にならなかったな…。このへんメディアの違いが感じられて面白かった。

ところで、ハートフル青春ものとして評価の高いハチクロですが、面白いと思いつつ読んでいるのに、いまいち心が動かされない私が最も共感したハチクロ関連の感想はこちらです。福本関連サイトの方が、鷲巣→はぐ、アカギ→森田説を提唱していて、それに関連した記事の一カ所でした。以下引用。ハチクロの批評は絶賛か懐疑的否定のどっちかが多いので、こういう別口からの切り込みがほしい…。

これは最終回にあったんです。最後の最後に出てきたエピソード。

竹本が就職先(地方)に去ろうというとき、はぐちゃんが駅のホームまで見 送りに来て食パン丸々一斤を切ったサンドイッチを渡す。

竹本が電車の中で「何が入ってるんだろう」とめくると、パンの一枚一枚に ハチミツを塗った上に四葉のクローバーがひとつずつ挟まっている。

竹本は「君を好きになってよかった」と泣きながらそれを頬張る。

…て、これさー、すごくない?!

メルヘンとか少女マンガとかリリカルとかじゃなくない?

私はネットの感想とか全然見てないんだけど、これみて誰も「異常だよ」と か思わなかったのかな?と不思議でした。

はぐのあの自分を表現することに対する執念というか執拗さとか妄執という か…情け容赦なさというか。

中略

「ハチクロとは、あの絵柄からイメージされるようなほのぼのとした少女漫画などではない、何かもっとどろどろしたものの固まりなのだ」→結論

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2007年11月10日 (土)

「キナコタイフーン」

 好調渡辺ペコの新刊。

 しかし意外にも面白くない。

 芸術系映画を撮っていた女の子が退路を断たれてAV監督の道に進む…。というのはわりと面白そうな設定だと思うんですが、起こるドラマが凡庸。

 状況が特殊なことがどうも渡辺ペコの個性であるさりげなさを殺しているような。

 そしてAVというと同じ太田出版から出ている卯月妙子や華倫変のマンガに登場する壮絶な現場を思い出してしまうので、ついつい「ヤクザ出してるのにこの文化系サークルノリは何」と思ってしまう…。いや、そこまで“あっち側”でなくとも、井浦秀夫の「AV列伝」とか読んでるとなんか物足りなく感じる。AV作るというのは商品を作ると言うことで、売れる物をつくるということなのだろうから、そこを語り出す前にいいもの作るとか言わせなくてもいいような気がします。

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2007年10月27日 (土)

「あのひととここだけのおしゃべり」

 よしながふみの対談集!

 ええと、感想後でじっくり書きたいので、とりあえずの細切れ感想。

・羽海野チカの良さがわかった! 仕事に対する誠実さかー。(でもどこか物足りないと思う気持ちは変わらず…。それは自分で答えを見つけるしかないか)

・こだか和麻との対談が面白い。どこに行っても社会性は必要なのねという話がイイ。福満しげゆきの「僕の小規模な生活」を読むとよりわかりやすいな…。

・「西洋骨董洋菓子店」の最初、時間軸が飛ぶところを理解できない読者がいたっていうのにびっくり。そりゃあそういう人たちにいきなり24年組は読めないわなー。

 でも私も中学生くらいの頃、24年組のマンガの物語全然理解してなかったもんなあ。ただ、セリフがすごくおしゃれとか、なんだかアヤしくて刺激的なことが描いてあるとか、なんか相当かなしいことが起こってるらしいとか、表紙のデザインがかっこいいとか、そういうところを見てたんだよねー。それで、10年くらいあとに読み返して「あ、こういう話だったんだ…」と思うという。今思うとみんな「お姉さんたちがいけないことを教えてくれる」マンガだったな。

 

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2007年10月14日 (日)

性別なんて関係ないのさ

 うちの弟(次男)の名ゼリフ。

私「あのさー、よくアニメ版ベルばらを称して、オスカルが男に都合のよい女性になってるのがイヤって言う人いるけど、原作だってルイ16世のあの女にとっての都合の良さはすさまじいよね。だってダンナが“自分を愛してくれるがゆえに不倫もとがめないでいてくれて、しかも経済的には安定を保証してくれて、子供も愛しているヨー”ってどんだけファンタジーなんだかっていう」

弟(次男)「や、あれはね、男も女も相手に求めるものは同じってことでしょ。優しくて、自分を責めないでいてくれて、経済的に安定していていつまでも待っていてくれるって。性別に関係なく異性に求める欲望は一緒ってとこが面白いんじゃない?」

 おまえいいこと言うな! そうだねエゴに性別は関係ないよね!

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2007年10月 8日 (月)

「ピンポン」

 松本大洋のピンポンに、努力の天才だけど、どうやっても絶対本物の天才にかなわない、佐久間ことアクマというあだ名の卓球選手が出てきます。

 アクマは天才少年スマイルに完敗し、自暴自棄になって暴力事件を起こして退部してしまいます。そんなアクマを、顧問の先生が「あいつの部屋に貼ってある円谷幸吉のポスターを俺は笑えない」という風に表現するシーンがあり、これがすごく巧妙なセリフだなーと思いました。

 だって、円谷幸吉のポスター貼ってるスポーツ選手なんてどう考えたって笑うとこじゃあ。「え、それはどう反応すればいいの?」って読み手に思わせといて、「笑えない」って言わせるところがアクマのこっけいさとものがなしさを表していていいなと思います。

 そして顧問の先生は、才能のなさを努力で乗りこえようとしたアクマのことを「ホントかわいくてしょうがなかったよ」という。

 たとえどうしようもないこと、超えられないことがあったとしても、それを理解してくれる人がいるっていいですよね。松本大洋は優しくていいと思います。

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2007年9月22日 (土)

最終回でした…

 2ヶ月以上ブログを放置しておりました…。

 そしてアニばらも最終回を迎えました。ほんとは8月には終わるはずだったのに私の都合でえらいことに…!

  サンジェストとロベスピエールの回。このエピソードを作ったという点だけでアニメの存在価値があると思えるくらいいい話。

 アントワネットの回。アニメのアントワネットはかっこよくないよね…。

 アンドレ。常識人になると魅力が半減するということをアニメが身をもって証明。

 オスカルの回。もっとアニメのいいとこを書いておけばよかったと反省。でも、アニメのオスカル性格大人しくて物足りない。原作の自己中っぷりがなくなると魅力が半減するということを(以下略)。

 最終回。もっと出﨑をほめたかった…!! 

 ともあれ終わりです。読んでくださった方でこちらを読んでる方はあまりいらっしゃらないと思いますが、読んでくださった皆様がた、ありがとうございました!

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2007年7月 1日 (日)

「地球へ…」その3

 すんません、このエントリは「地球へ…」のアニメと原作両方観てる人にしかわからない内容です。

 今日のアニメ(第13話・星に潜む者)観てて思ったんですが、アニメ「地球へ…」制作スタッフは原作に描いてあることの意味が理解できなかったんじゃないでしょうか。

 だから、「機械にプロテクトされていて心に立ち入れない不気味なキースを、それでも助けに行くマツカ」っていうのが理解できなかったんじゃないでしょうか。そうでないとキースを面倒見のいい上司にして、マツカにいろいろ親切にする意味がわからない…。たしかにこれだとマツカがキースになつく理由にはなるけど、原作の「お互いをわかりあえないもの同士が20年かけて信頼を築き上げる」過程はすっとびますね。わかりやすいフラグがないと人と人とのつながりは描けないんですか、そうですか。

 劇場版のキースもマツカに親切だったけど、あれはそのかわり出会いのシーンを変えてあったし、なにより自分の秘密を知ってるキースだったからな…。じっくり描こうにも時間ないし。TVアニメ版は劇場版の何倍もの時間数をさけるのに何で話が簡単になるのか、理由がよくわかりません。

 あとピアスの話でないね…。でも変な描かれ方したらまた怒るからもうただのアクセサリーでいいのかな…。「危険な不純物は排除すべきだ」って言ってるくせに、自分に与えられた役割に逆らえないで最後の最後まで突っ走っちゃうくせに、血入りのピアスとかしちゃったり、自分が滅ぼすべき集団の異端児をそばに置いちゃったりする矛盾の多い人間だから魅力的なんだよね、キースは…。自分の出生の秘密を知らないキースがジョミーに「ロマンチストだな」って言われてもたぶんそこに悲哀ないな。せっかく子安使ってるのに複雑さに欠けるキースって…。

 うっかりキースの話ばっかりだけどジョミーも変だった。だって、フィシスが深層心理の底まで行ってブルーと対話することによって、はじめてブルーとは違う“ソルジャー・シン”が読者に認められるんじゃないですか。そうして生まれたソルジャーだからこそ、補聴器を必要としないし、生まれながらの戦士キースと戦えるっていう話じゃないんでしょうか。まあブルー生きてるから同じにしようがないんだけど、それなら原作と展開を変えるべきでは…。

 アニメと原作が違うって言うのはぜんっぜんかまわないと思ってるけど、それならそれなりに考えて作ってくれー。再構成っていうのは切り貼りすることじゃないよ!

 ジョミーがパーマンみたいに飛んでるっつーセンスの無さもなんかなあ…。センス・オブ・ワンダーがねえ!

 すいません。ただの愚痴でした。

 追記

(そういやマツカがはやばやとキースになついちゃったから、サムの死の場面っていらなくなるんじゃ…。くそっ、あのマツカがコーヒー入れるとこめっちゃ好きなのに。でもアニメではサムがキースにコーヒー入れてないから、たとえあったとしても意味は薄れるか…。12話のお見舞い場面がサムの最後のターンだったら泣く)

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2007年6月28日 (木)

「地球へ…」その2

mixiに書いた文章をサルベージ。

「地球へ…」竹宮惠子読み返してみました。
 すごいなコレ。

 いろいろすごい箇所いっぱいあるけど今日的な意味で強い意味を持つのはこれだ。

「管理社会というのは人間の依存心が生み出したもの」ってことを突いてるとこ。

 弱者を蹂躙して利益を吸い上げるわかりやすい権力者がいるってことにしてない。

 以前の日記にも書いたけど、「地球へ…」は度重なる環境破壊の果てに、自らを管理しきれなくなった人間が高度化したコンピューターに社会を管理させているっていう設定のお話です。これだけだとよくありそうな感じですが、印象的なのが「マザー・イライザ」というシステム。

 人間は人工授精で試験管の中から生まれて、14歳までを機械が指定した「理想的な養父母」のもとで暮らします。14歳の年に成人検査と称される試験を受け、それまでの記憶を消去して、まっさらな状態に戻す。そして養父母の元から離され教育施設の中で「理想的な大人」になるために教育されます。

 引き離された養父母の変わりに、少年少女たちにあてがわれるのが「マザー・イライザ」。揺れ動く思春期の子供たちに常に適切なアドバイスをして精神の平穏を維持させるというシステムです。

 友人とケンカしてもやもやしてても、悲しいことがあって落ち込んでても「マザー・イライザ」に相談すればイッパツで気が晴れる。便利です。

 しかし、そうやって生きてきた人間たちは、最後の最後。自分たちを育ててきたシステムが破壊されそうになる前兆の日に、事態を直面しようとしないで「マザーなら気分をよくしてくれる」って機械の与える癒しに逃げ込もうとするのです。

 そうなんだよ…!監視社会とか全体主義社会ってのは、実は「そのほうが楽」って思った、支配される側である大多数の承認を得てはじめて成立するんだよ…!

 原作最初読んだ時は情報量が多くて意味がわからなかったんだけど、よかったよ読み直せて。しかし暗いなラスト。そこがいいんだけど。

 今やってるアニメの出来は「この作品のいいところは全て原作のおかげ、悪いところはすべてアニメ制作陣の勘違いと力量不足のせいです」という感じですが…。(←元ネタは黒田硫黄・映画に毛が三本。ほんとはピンポンを評して「この映画のいいところは全て原作のおかげで、悪いところはすべて窪塚のせいです」って書いてある)

 

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2007年6月23日 (土)

「地球へ…」

 アニメの影響で「地球へ…」を読み返しています。(去年買って一読してたけど、ざっと読んだだけでは意図を理解できないハードな話だったのでそのままほっておいた)

 改めて読むと、お…おもしろい。竹宮惠子はいい…。

「地球へ…」は、超能力者になってしまったことで社会から排除されていた、ミュウと呼ばれる超能力集団のリーダーをつとめるジョミーと、高度に管理された社会の維持のため、リーダーになるべくして生み出されたキース。二人の主人公を有するマンガです。

 さまざまな観点から読み解くことができる濃いマンガですが、読み返して私の心にもっとも強く残ったのは主人公二人の不幸っぷりでした。ネタバレになっちゃうからくわしく書かないけど、もっとも傷つくような形で友人を死なせたり、仲間から糾弾されるような状況に追い込んだりと登場人物の追いつめ方がすごい。どんなSMマンガよりSMですよ、これは。「竹宮先生ドS…!」とか思った。

 竹宮惠子って「風と木の詩」の印象が強いからすごい前衛的な作家だと思われてそうだけど、私はこの人の作品のヤングアダルトっぽいとこが好きです。児童文学っぽいと言い切ってもよい。誰かの成長の種になるような常に作品を心がけてるところとかが。「説教くさいみたいなこと言われがち」ってコンティニュースペシャルのインタビューに書いてあったけどわかるなあ。まじめに教職目指してたってのもすごくよくわかる。あの人は実は藤子不二雄と並ぶ児童マンガ作家なんですよ…!

 とか思ってたら村上和彦も指摘していた様子(いけさんフロムFR・NEO RE )。「地球へ…」とか「エデン2185」とか図書室にこっそり入れておいて、いつの日か少年少女のトラウマになるといい。

 アニメではそういう教育者っぽい目線とか、登場人物への厳しさがカットされていて残念でした。

 っていうか(以下ネタバレのため反転)。自尊心の強い努力家のシロエが「働きたくなーい」と叫んで死んじゃうとか、サムがジョミーを刺すシーンがサムの意志じゃなくて、マザーイライザの洗脳のせいになってるとか、ジョミーが全体的に中二すぎるとか、ソルジャー・ブルーはなぜまだ生きてるのかとか、いろいろつっこみどころが…!! なんかみんなあほの子で今後の展開が心配です。原作と違うってのは全くかまわないんですが、「それをやったら竹宮作品のアニメ化である必然性がないのでは」ということをやられるとへこみます。攻殻機動隊や、出崎アニメのように原作よりおもしろい瞬間が多々あるのなら問題ないんですが…。

 

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2007年6月 9日 (土)

「しゃべれどもしゃべれども」

 同名小説のコミック化。

 一読目はどうしても原作から削られてしまったエピソードが気になってしまったが、二読目は独立したマンガとして読めた。いい話です。

 伸び悩み真っ最中の落語家三つ葉が、ひょんなことからしゃべるのが苦手な人たち相手に落語教室をはじめることに。無口できつい表情の美人・黒猫こと十河、気弱で吃音のテニスコーチ良、お調子者の関西弁少年村林、意固地で辛口な元野球選手湯河原。ちょっぴり生きていくことにつまずいている彼らが、ちょっとだけ元気になるまでの話だ。一見すると足りないものを埋め合わせていく話だけど、そうではなくて、いろんなことを積み重ねていくことによってものの見え方が変わったり、誰かの新しい面に出会えたり、そういう瞬間のいとおしさが書いてある話だ。じんわり心に染みるけど、過剰な湿度がない。柔らかい成長譚。

 原作にけっこうのめり込んだクチなので、マンガに精製する過程で引かれてしまった部分があるのがちょっとさみしい。佐藤多佳子はいい児童文学作家なので、子供を書くのがうまい。原作では村林と、彼をいじめるクラスのボス宮田とその子分、そして村林のことを気にかけながらも宮田の手前うまく話せない同級生たちの心の攻防が緊張感を持って描かれていて、三つ葉の物語と併せて作品のクライマックスを担っていたのだが、そのあたりは大幅カット。ざ、残念…。紙数の都合かと思うが。

 とはいったものの、原作未読者でも既読者でも楽しめるいい作品であることに変わりない。なにせマンガになったことで足された部分がとてもいい。

 とくに表情。作中、三つ葉があこがれの人に思いを伝える場面がある。しかし、まるで通じなくって仕方なしにはぐらかし笑いをする。そのときの表情がいい。夏、十河が自分で縫った浴衣を着て、ほおずきと風鈴に囲まれて振り返る場面。その清涼さがいい。村林や良、湯河原の顔もいい。それぞれ屈折した連中なんだけど、そういう人たちの癖みたいなのが柔らかく描いてある。原作読んだ人は、「そうかあの人たちこういう顔だったんだ」と思えるはずだ。三つ葉は私のイメージよりお調子者な感じなんだけど、そこがまたいいよなあ。

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2007年6月 6日 (水)

「今日からヒットマン!」

 食品会社の小心者営業マン(でも仕事はできて、美人の奥さんがいる)が、ぐうぜん殺し屋の代役になってしまい営業マンと殺し屋の二足のわらじ生活をはじめるという超B級マンガ。素人がいきなり銃もってそれを当てたいところに当てられるわけないとか、営業マンと裏家業の両立なんて不可能とか、しょっちゅう拷問されてる紅一点の女の子がいっつもキレーな裸でおかしいとか、そういうことはいいっこなしだ!

 面白いだけのマンガ。でも面白いだけっていうのがほんとは難しいんだ!

「ゴラクをあなどるべからずbyいしかわじゅん」

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2007年6月 4日 (月)

「オルフェウスの窓」

「オルフェウスの窓」を買ってみました。
 10年ぶりくらいのイッキ読み!
 なんかこう…、俗っぽい話でした。さすが池田理代子。
 という言い方もちょっとあんまりだからもう少し整理すると。

 えー、私中学生の時に「ベルばら」でまるで正義の味方のように描かれているロベスピエールが、恐怖政治を行って処刑されたってのを聞いて「池田理代子はきっとほんとは“昨日までの正義の味方が明日は殺人鬼になるような革命マンガ”を描きたかったんだろーな」とばくぜんと感じたことがありました。歴史好きの嗜好ってそういうもんだから。現実のままならなさに萌えるのが歴史オタクというものなのですよ…。

 だから高校生になって、ボリシェビキ、メンシェビキ、王党派、民衆が足を引っ張り合うロシア革命が描かれた「オルフェウス」を見た時は「やっぱし!」と思いました。で、主人公が男装の麗人(ただし周りの人間にその事実を隠している)っていう「ベルばら」と同じモチーフを使っているっていうことは、マンガっぽいシンプルな造形の登場人物の「ベルばら」とは違う、もっと人間の内面に踏み込んだ話にするつもりなんだろうなー、と思っていたわけです。

 愛蔵版の帯に「私にとって記念すべき最後の少女マンガです」とかいう主旨のことがかいてあったし。

 そしたら、同情でうっかり娼婦と結婚して生活苦に悩む青年とか、義母とつきあって殺されちゃう美形とか、彼氏に振られたと勘違いして不倫に走っちゃう若い娘さんとか、非業の死を遂げた初恋の子の面影を求めて若い娘さんと不倫しちゃう妻子持ちとか、横恋慕のあげく嫉妬に狂って仲間を売っちゃう革命家とか、愛した男を手放したくないもんだから、男の仲間を陥れて孤立させちゃう女とか、「もうもんたに相談しろ!」みたいな話のオンパレードで「池田先生的には大人向け展開にするってのは昼メロにするってことなのかしら…」としみじみ。「アラベスクが、ポーの一族が、風と木の詩がはじまっていたというのに先生ったら…」とかよけいなことを心配してました。

 おまけにオチが“力尽きて収集つかなくなったからとりあえずここで終わり!”てなかんじで、カタルシスのかけらもない読後感にあぜんとしたものです。

 しかしあれから10年近い月日を経て読み返してみると、これはこれでおもしろいなあと。昼メロだと思った部分は今読み返しても昼メロでしたが、読み返してみると一応計画通り落ちてることがわかりました。最初から運命に翻弄されて力尽きる恋人たちの話だったみたいですね。最終話は今読んでもやっつけ仕事にしか見えませんが、作者が描きたいものを描ききって終わってるんだからいいのかなあと思えるようになりました。

 で、その描きたいものって、やっぱ革命だったんですね。ロシア革命の悲惨さを描く池田理代子の筆致はほんとに冴えてます。

 たとえば主人公のアレクセイ、当初属していたメンシェビキを捨てて、民衆による武力革命を実行するためにボリシェビキに入る。しかし、自ら信じて助けようとした民衆に、祖母と自分を育ててくれた召使いたちを惨殺されてしまう。

 すごいわかりやすい革命の悲劇!
 
 作者が見せたがっているものがストレートにこっちに伝わってきます。起こってることは悲惨なんだが気持ちいい。なんだかんだ言って、歴史の中にダイナミズムのある悲劇を組み込むこの力はすごい。

 あと、好きな場面。後半の重要人物の中に、王政復古に失敗して自殺する軍人がいるんですが、そこんち、妹は結局兄の死後に亡命するんですが、弟は自らの意志で革命軍に加わるんですね。
 そして、亡命のための国境越えの列車で、妹は検問係として立ちふさがる弟と邂逅するわけです。
 自分を見逃してくれた弟の姿を思いながら、妹が「わたしは…… 旧世界の形骸としてこうして追われてゆく…」って言う場面。ここはよい。「あ、歴史が変わっていく瞬間がマンガの中に描いてある」って思いました。

 明らかに投げっぱなしになってる伏線や設定はどうしたとか、あの終わり方は読者に失礼なんじゃ…とか、人物造形の底が浅くて物語の悲劇性に追いついてないとか、いろいろ思うことはあるけど、上に書いたような革命の描写に関して言えばほんとに傑作だと思います。歴史を物語として読ませるって簡単そうで難しいのに、それができてるからなあ。

 レーニンを人の良さそうなおっさんに描いてることとかに議論の余地はあろうが、ここで革命の歴史的意味を追求するときりがないので割愛…。

 しかしこの作者は登場人物を不幸にする時にほんとにいきいきしますな…。

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2007年5月 7日 (月)

やおいなら名作?「あらしのよるに」

 ところで「あらしのよるに」をご存じでしょうか。

 それまでは地味なしかけ絵本で、地味にヒットを出していた木村裕一が、元旭川動物園飼育係で、動物の画に定評のあるあべ弘士と組んでつくった幼年童話です。狼と山羊が、種族間の壁を越えて仲良くなるというこの話は、2006年に映画化され、児童書としては異例の大ヒット作となりました。1994年の刊行から12年かけて、2006年に第7巻をもって完結しています。

 児童書業界はときどき大ヒット作を輩出しますが、そのさいの必要条件に「逆らえない種類の正しさが書いてあること」があげられます。たとえば「星の王子さま」の「ほんとうにたいせつなものはめにみえない」という言葉。たしかに「めにみえないもの」は「めにみえるもの」と違ってその価値に順位をつけることができないから、それを「ほんとうにたいせつ」と言いかえるのは簡単ですし、逆らいようがありません。

 「モモ」や「バッテリー」も同様かと思いますが、大人に受ける児童書は多くの場合「逆らえない種類の正しさで、不条理な世の中にわかりやすい答えを出してほしい」という大人の要請に答えることによって、ヒット作になります。作品自体に罪はないのですが、大人たちが安っぽい正しさの共有のために児童書を利用しているのをみると、ほんとうにうんざりします。

 さて、「あらしのよるに」もご多分に漏れず。山羊と狼が仲良くなるという異種間交流は、多くの大人達の心をとらえました。

人も含めて敵対するもの同志の友情は、悲劇的な結末を迎えることが多いようです。しかし問題解決への努力は決して無駄ではありません。 -よこはま動物園長増井光子

-オオカミとヤギは、グリム童話以来の因縁の中にある。そんな二匹の愛はあるのか?野生の掟を超えたスリリングな愛は、せつないねえ。一緒にいるだけで幸せだという愛はいとしいねえ。-山本容子

-ガブとメイのつむぐ物語は、人間世界の住人に、大切のコトを気づかせてくれる。誰かを想う気持ちが、どれほど尊いかを。そして、自分の心をやがて暖めることを。- 草野満代

 と大絶賛の嵐です。たしかに、第1巻「あらしのよるに」の時点では、根本的に異なるもの同士の交流が、あべ弘士の実在感のある画によって描き出されていました。しかし、シリーズが続くにつれて話が混乱。最終的には二匹は互いの種族から逃げ出し、山の向こうへ逃避行してしまいます。異種間交流どころではなく、ただのかけおちモノになってしまいました。実際、映画公開時に書かれた小説版では、山羊が女性になっていましたし、著者自身、二匹の関係を恋愛に見立てて「あらしのよるにの恋愛論」という本を出版していました。

 私は、児童書としてはこの作品をまったく評価できません。(1作目のみならともかく)山羊も狼も互いの属する共同体になんら抗うことなく、桃源郷に逃げ出してしまったように見えるからです。もし、この作品のテーマが異種間交流であるなら、彼等は属する共同体と戦い続けながらコミュニケーションをとらなくてはいけないのに。木村裕一は悪ノリのし過ぎで作品の価値を落としたと思います。

 しかし、ここに新たな評価軸を発見しました。

 映画「あらしのよるに」は、あの杉井ギサブロー監督がとことん原作に忠実に作った結果、素直に鑑賞するとラブストーリーにしか見えない出来になっているのですが、マンガ評論家で現在「一日一やおい」というブログを稼働中の吉本たいまつさんが、やおい映画として「あらしのよるに」に非常に高い評価を下していたのです。

 この映画は登場人物が動物になっていますが、やおい作品の構造をきちんと備えているように思えました。(中略)狩るものと狩られるものという自然の摂理があるわけですから、二人の障害はより大きくなるわけです。これは「男どうしなのに」というやおい作品の前提と共通していますね。 (中略)

 二人の強い思いが、障害を乗り越えていくのですね。そして二人は命がけで二人の関係を守ろうとします。命までかけるなんて! うひょー!

 そうか! やおいだと思って開き直ればいいんだ…?

 いや、私は相変わらず好きではないですが、評価の軸を変えると、作品の価値も変わるということをしみじみ思ったわけです。

 小説版はたしかほんとに心中してたはずだ。すっごくうんざりしたなあ。

 右が原作。あべ弘士の絵がリアリティあってイイ!っていうのが初期の評価だった気がする。

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2007年1月 5日 (金)

「横山光輝の世界展」

 下の弟と行ってきました。
 去年の水木しげる展(むちゃくちゃ面白かった!)といい、次回のドラえもん展といい、川崎市市民ミュージアムのはりきりぶりには目を見張るものがありますね。がんばれー。

 下の弟はほんとにヨコミツが好きなので興奮しておりました。横山光輝の得意分野は時代劇とSFなのですが、弟はもともとその両方が好きなのです。
 SFって、通常の世界と違った世界の枠を書くことによって、私たちが所属している社会そのもののあり方を問う作用があるそうです。たとえば男も女も子供を産める世界になったらどうなるかとか、クローン技術によって人間が再生できるようになったらどうなるかとか、世界を新しい鏡で問うのがSF。宇宙船が出ていればSFってわけじゃないのだそう。ん、そう考えるとスターウォーズはSFじゃないね…?

 で、時代劇も現代社会と違った価値観で人間を書くことができるから面白いんだと。そんな弟に言わせると、大河の「功名が辻」はダメなんだそうです。現代的なファミリードラマだから。

 横山光輝はそのへんきわめてクールに、「違う価値観の社会」を書けるのでよろしいそうです。

 たとえば「時の行者」っていう作品に出てくる火付け盗賊改め(警察みたないもん)中山勘解由。この人は、非常に厳しい取り締まりを行ったことになっています。道ばたに落ちていたものを拾っただけで、盗もうとしたと判断して斬り殺すなど、非道な取り締まりで人々を締め付けます。勘解由は、自分の感情を殺して厳しい取り締まりを行うことが、今の時代には必要なのだと考えています。勘解由の息子はそんな父の生き様に疑問を感じていました。しかし、ある日情けをかけた男に幼なじみの少女を殺され、これまでの自分を殺して父の仕事を次ぐことを決意します。それを見守っていたタイムトラベラーの少年(時の行者というのは彼のこと)の一言が

「時の流れとともに人それぞれの生きざまがあるものだなあ」

 そいだけか! おまけに絵もこれっぽっちも湿っぽくない。たしかにクールですわ。ちなみに「マーズ」では地球を守るために戦っていた主人公が「人類守る価値なし」と判断して地球を滅ぼしてしまうらしい。いあや昔の人は厳しいですね。

 ところで、展示。えーと、原画・原稿がいっぱいあって面白かったけど、欲を言えばもう少し凝った解説が読みたかったです。たとえば「三国志は少年誌の世界で時代遅れになっていた横山を一線に戻した作品だった」とかそういう。

 トーマス転炉(製鋼炉)っていう産業遺産が鉄人28号に改造されていてちょと面白かったです。

 ところで、この間ブログの記事を書くためにあしたのジョーについて調べていたのですが、新潮社の波2006年7月号で森達也(最初森山大道と書いてしまいましたすいません)がジョーについて書いているじゃないですか!
 帰省した際に何の気なしに祖父の家から持ってきたものなのに、この符号。なんなんでしょうか。矢吹が呼んでいるのか。

時の行者 上
時の行者 上
posted with 簡単リンクくん at 2007. 1. 5
横山 光輝著
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時の行者 中
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時の行者 下
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2007年1月 3日 (水)

「フラワー・オブ・ライフ」最終回

オンライン書店ビーケーワン:フラワー・オブ・ライフ 1 オンライン書店ビーケーワン:フラワー・オブ・ライフ 2 オンライン書店ビーケーワン:フラワー・オブ・ライフ 3

「フラワー・オブ・ライフ」の最終回は「あしたのジョー」だと思いました。生死は不明だけど、物語が未来に向かって開いているから。

「あしたのジョー」の矢吹丈は、戦いに敗れて「真っ白な灰に…」とつぶやく。ラストは、コーナーのイスに座り込み、眠ったように安らかな表情のジョーが、顔を斜め左に向け、言葉通り真っ白になっている絵で終わります。

 対して、「フラワー・オブ・ライフ」の春太郎は、自身の病気に高確率で死に至る再発の可能性があることを知り、金髪だった髪(画面上は白)を黒髪に戻します。そして、2年生初めてのの始業式、親友の三国と未来について話しながら、桜を背に、左に向かって歩いていく春太郎。彼の病気がその後どうなったかは一切語られない。

 夏目房之介がBSマンガ夜話で話していたけど、マンガにおいて左向きの構図、左向きの顔っていうのは「未来に向かって開いている」ということなんだそうです。記憶で書いているので細かい表現は曖昧だけど。マンガは右から左に読むからね。矢吹丈は、真っ白な髪になって燃え尽きたけど、春太郎は黒髪に戻して現実を受けとめていく。すっごくいいラストじゃないですか! よしながふみはマンガうますぎです!

 ネタバレにつき白抜きしてます。