2006年11月 6日 (月)

「Mother’s石内都」

東京都写真美術館2F 「Mother’s 石内都」

 最終日に急いででかけた。 
 
 死について残された者が語るということは、不在を語ることに等しいと感じさせる写真展覧会。母の死後に撮影したという遺品の数々と、生前に撮影した皮膚と手足の写真を展示されていた。

 遺品の写真には下着や口紅を撮ったものもあり、故人の体の跡を残したままの下着や、使われた形跡のある口紅は生前の故人の存在を感じさせる。ひるがえってみると、それらは不在をまざまざと感じさせ、痛みを鑑賞者にわけあたえる。

 すごい展示だと思った。写真はその性質上、客観視を義務づけられている。今回の写真も、もちろんレンズを通した第三者的な視点に基づいている。しかし、その一方でにじみ出るように、喪失感や愛憎が伝わってきた。

 観ている間に、何度も自分と家族との経験を思い出した。非常に、身体性の高い生々しい展示だったと思う。

 それにしても、どうして世界中の母と娘は確執を抱えているのだろうか。

(なんか文章がスカしてるのはアニメのベルばらを見終えたあとだから…。たぶん)

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2006年10月26日 (木)

「アイドル!展」

 展覧会「アイドル!」とは?

 アイドルは、現代の日本社会にマス・メディアを通じて強いインパクトを与え続けています。この展覧会では、絵画、写真、映像、ダンス、ゲームなど多様な表現方式で、アイドルそのものを扱った作品や、アイドルを連想させる作品を紹介します。

 出品作家は、篠山紀信、加藤美佳、川島秀明、蜷川実花、西野正将、KATHY、草間彌生、中原杏/小学館、株式会社セガ「オシャレ魔女 ラブ and ベリー」の第一線のクリエイターたちです。

 アイドルが現代日本でどのような役割を果たし、また私たちがアイドルにどのような思いを託しているのかを探っていきます。(美術館ホームページより)

 横浜美術館 2006年10月7日~2007年1月8日まで

 アイディアは非常に面白いのですが、展覧会としてはおもしろみのないものだったを思います。

 この展覧会では、「アイドル」という題材の上で、さまざな分野から「アイドル」を象徴する作品を集めています。マンガ、アニメ分野から「きらりん☆レボリューション」。おもちゃ分野から「ラブ&ベリー」。また上記二例ほど美術館との距離は感じさせませんが、篠山紀信が協力した山口百恵のドキュメンタリーや、蜷川実花の写真なども、商業分野から招聘した作品です。

 しかし、それらがただ漫然と置いてあるだけで、美術展のなかで新しい魅力や側面を主張するということは無かったと感じました。「ラブ&ベリー」を置くのであれば、それらを子供たちがどうやって受けとめているのか。それは、私たちの世代の受けとめ方と何が違うのか。そういった面を意識させる必要があったと思います。そうでないと「今の子こういうの好きなんだ」以上の感想は持ち得ないのではないでしょうか。

 ネット上の観覧者の感想では、山口百恵のドキュメンタリーがよかったという意見が多く見られました。しかし、それは山口百恵とNHK制作部と篠山紀信の手柄であり、「アイドル!展」という文脈の中に入ったことで得られた新しい感動というものは見つけられなかったと思います。

 個人的には「アイドル(=偶像)」を「アイドル」たらしめるものは何か? それは私たちの視線ではないのか?まで問いかけてくれる作品を期待していたので、かなり物足りなく感じました。

 ところで、今回の展覧会のもっとも大きな特徴は高校生ゲスト・キュレーターが展覧会の関連事業立案や、作品選定提案を行っている点でしょう。今回の展覧会は率直に言ってつまらなかったものの、取り組みとしては面白いと思うので、継続して続けてほしいと思います。

 それから、日本×画展の際に使われていたワークシートを無くしてしまったのは失敗です。断言できます。今からでもいいからつくるべきだと思います。

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2006年7月 7日 (金)

束芋展

 先日は原と間違えて森美術館に行ってしまった私ですが、今回はきちんと森に、いや原に行きました。

http://www.haramuseum.or.jp/generalTop.html
 面白かったです。若手女性映像作家の束芋の個展。
 朝日新聞を購読されている方は、おそらく彼女の絵を目にしたことがあると思います。夕刊に連載されている小説、吉田修一作「悪人」のイラストを描いていますので。
 彼女の作品は、日常の中にある不快感をイメージの組み合わせで上手く形にしてくれます。「ねじ曲がった指」「女子高生の尻から出てくる日本国旗」「包丁で頭を切られる父親」「真っ暗な海を泳ぐ白い毛羽右現」(水木しげるかと思った)等々。これらが組み合わさった結果、誰もが感じているであろうこの社会の閉塞感が上手く形になっています。レトロな雰囲気や、力のない線がいい感じです。
 ところで、この文章を書く前にググってみたら「作家の構想力やイマジネーションの幅と深さ、洞察力といったものがおのずと問われてくる。で、これがどうだったかといえば、凡庸だった」という評がありました。(こちらのかたの評は2003年の「束芋展・おどろおどろ」の際のもの)
http://www4.ocn.ne.jp/~artart/art-report/tabaimo.html
 確かに、イメージのわかりやすさに既視感を感じる部分は多々あります。このくらいの水準ならデジスタで見られるでしょう、という人も少なくないと思います。しかし、現代美術が社会から離れたところで存在している現在の日本で、社会に対する悪意を誰にでもわかりやすいイメージを使って見せてくれている彼女の存在は新鮮で刺激的なのだと思いました。良きにつけ悪しきにつけ。

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2006年6月30日 (金)

「アフリカリミックス」

 猛暑の中黒いスーツを身にまとって面接に出かけたら、面接会場が見つからずおまけに先方の電話はずっと話し中で、食べたばかりのチンジャオロース定食が胃にもたれて仕方がないので近くの新聞販売所をお借りして用を足して、やっとつながった電話に導かれてついた会場で脂汗を拭きながら面接受けましたよ。「もうあかん…!」と思いつつせっかく東京に出たんだからと美術館に行くことにしました。

 東京ランダムウォーク赤坂店で「カリスマ探訪記」を買ってぴあをチェック。さて原美術館で束芋展を見にいくかと行って電車に乗り込んだのになぜか着いたのは森美術館。六本木ヒルズが見えてから気づいた。「これ森」。あかんあかん頭がおかしい。

 というわけで森美術館の「アフリカリミックス」を見てまいりました。

 http://www.mori.art.museum/jp/index.html

 アフリカ美術っていうから彫刻とか織物とかなんかチャイハネちっくな感じかと思っていたらコンセプチュアル・アート含む現代美術中心でした。(チャイハネの商品はアジアの民芸品が多いみたいですが)
 日本のコンセプチュアル・アートは「オタクの内輪発表会」という印象が強いと思うんですよー。使ってる言語が、現代美術の歴史を知らないとわからないような言語に感じられて。私は現代美術好きで割と見にいってたけど、外の世界には影響を及ぼせないんじゃないかと思うことがよくありました。

 アフリカの現代美術は非常にストレートで政治性が強かったです。例えば「目隠し」と題された絵。目隠しをされた男性の顔と、事切れたらしい目をつぶった男性の顔が20枚の額に飾られています。また、「入植者たちにアフリカを売った酋長」という写真では、いかにも工場で仕立てたような皮の腰巻きやバック、靴をつけた酋長ルックの男性がいすに座ってポーズをとっていました。
 
 白と黒というのもやはり重要な要素のようで、黒人女性が真っ白なウエディングドレスを着ている映像や、白人と黒人のとっくみあいの画面が挿入されるアニメーションもありました。もっともキュレーターがそういう作品を中心に集めたのかも知れませんが…。「トリニダード・トバコってアフリカ?」と思ってしまう私や、「荒川静香が好きだというアイス屋さん」(近くにある)に並ぶ人たちにもわかる言語のものばかりを持ってきているのかも?
 ヨーロッパ風の姓を持ってる方や、欧米で活動されてる方が多いようで、色々な観点から私のアフリカへの貧しいイメージを覆してくれるような作品が多かったです。

 ミュージアムショップにいろいろ面白そうなものがあったのですが、お金が無くて買えませんでした。アフリカ・リミックス特製CDとか、中尊寺ゆつこの「アフリカン・ネイバーズ」とか、ヒエロニムス・ボスの画集とか、松尾たい子のすごくきれいなピンズとか欲しかった…。就職したらリベンジだ。

 あと、六本木のABCに行ってきました。リニューアル直後なのにかなり完成した売り場になっていました。昔の六本木店には一度しか行ったことがなかったのであいまいだけど、全体に実用児童が増えたような印象。あとは、2階がいわゆるフロアではなくベランダ形式の、2階から1階が見下ろせる建築になっていたのが印象的でした。
 驚いたのは店内放送での「只今開催中のフェアについてご案内いたします」。それってアリなんだ。

http://www.aoyamabc.co.jp/index.html

 下の方にスクロールするとリニューアル後のABCが見られます。

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2006年5月 6日 (土)

坂元友介さんのアニメーションが観られた!

 中区役所の前を通ったら、すぐ隣の建物で美術展をやっていた。

 「ZAIMオープニングフィスティバル」とのこと。

 http://www.ycan.jp/archives/2006/04/zaim_04290507.html

 2005年の横浜トリエンナーレから生まれた、人の輪も含めた「場」を、今後も活用するためのプロジェクトの一環のようだ。旧関東財務局・旧労働基準局の二つの建物をZAIMと名付け、アートの交流の場として活用してゆくつもりということらしい。

 現代美術の作家を中心に、映像、立体、絵画、パフォーマンスなど、様々な作品が展示されていた。面白いなと思ったのは、いわゆるプロの作家と、ちらと見ただけで学生(もしくは経験が浅い)とわかる作家の作品がすべて並列に並べられていたこと。作家紹介のパネルなども統一されていなかった。作家自身それぞれで持ち寄ったものなんだろうか。当然のことながら、最近の公共美術館のような広い天井やゆったりした通路はなく、作品は個室に作家ごとに置いてある形式のものが多かった。結果的に迷路で宝探しをするような印象を受けることになり、それが少し楽しかった。

 高井温子さんの新聞の写真を切り取って額装した作品や、ウーパールーパーをモチーフにした松井えり菜さんの作品などを楽しむ。

 そしてなんと、坂元友介さんの作品を発見! 

 NHKBSは、「デジタル・スタジアム」というデジタル・アートと呼ばれる映像作品の投稿番組を放送している。坂元さんはこの番組に何度か作品を投稿しており、私はその中の「歯男」と「電信柱のお母さん」という作品をTVで拝見していた。「歯男」は人形アニメで不気味な造形の歯男の物語だ。口で説明するとかえって作品を損なう気がするので下のリンクから視聴してほしい。

http://www.nhk.or.jp/digista/hall/artworks/031101.html

 「歯男」の制作当時、坂元さんはまだ17歳だったそうで、う~ん、開いた口がふさがらないというか…。

 「電信柱のお母さん」はうってかわってかわいらしい男の子と、レトロな風景で始まる切り絵アニメーション。なんと電信柱が子供を育てるという物語だ。坂元さんは「電信柱のお母さん」の発想が生まれた瞬間こう語っていた。

http://www.nhk.or.jp/digista/hall/artworks/060318.html

「夕方、街を歩いてると、見上げたその電信柱が妖怪のように見えた事があって、子供がもしかしたら育てられるんじゃないかっていうアイデアが次々と浮かんだ」

 電信柱が妖怪に見えるという感性はけっこう多くの人が共用していそうだけれど、子供を育てるという発想の飛躍はなかなかない。その発想だけでもすごいのだけれど、アニメーションとしての質と、物語としての完成度がとんでもなく高いのだ。電信柱のお母さんは子供に強い愛情を抱いていて、子供をからかった悪童を病院送りにしたり、町中の電気を消して真っ暗なビルをTVに見立てて子供のためにイルミネーションで物語を作ってあげたりする。この、アニメーションの中でアニメーションを作り出すイルミネーションのシーンはたまらなく美しい。流れる曲が宮沢賢治の「よだかの星」というのも効いている。また、この作品にはふたつの形の母が登場するのだが、そのどちらも「男性がこんな母を描けるの?」という客観性があり、それが何よりショッキングだった。

 「電信柱のお母さん」はTVで偶然見つけた作品だったので、もう二度と見ることはできないかと思っていた。でも、いつかこの人の名はいろんなところに出てくるから、それまで待つんだ…、と考えていた。この展示では、プロジェクターでの簡単な映写とはいえ大画面で見ることができてとても嬉しかった。

ちなみに上映作品は

「焼き魚の唄」

「マーチング・マーチ」

「在来線の座席の下に住む男」

http://www.nhk.or.jp/digista/hall/artworks/040724.html

「電信柱のお母さん」

 の4作品。どれも面白い。実は、私は坂元友介というのが「電信柱のお母さん」の作者と知らずに展示を見始めたのだが、「焼き魚の唄」を見てすぐ、「あれ、電信柱の人に似ているな」と思った。これは坂元さんの作品がそれだけの個性と完成度を備えているからだ。「焼き魚の唄」では、アジがコンロの火を夕日と思いこみ、「こんなところからも夕日が見えるんですね」といった趣旨の言葉を発する画面があり、「本当にこの人は常人では見つけられないものを見つけてくる人だな」と思った。

 残念ながら7日でフィスティバルは終わってしまうのだけれど、横浜に観光においでの方にはぜひ立ち寄ってほしい。会場は横浜スタジアムの裏、入場無料。

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2006年5月 3日 (水)

「最澄と天台の国宝展」

http://www.tnm.jp/jp/servlet/Con?pageId=A01&processId=02&event_id=2773

 想像より混雑していた。国宝の2文字がきいているんだろうなあ。観覧者の7割が年配の方。やはり天台宗の人が多いのだろうか。

 いわゆる美術品ではなく、仏教文化の中で実際に使われたものが展示されていた。掛け軸なんかは醤油で煮染めたようになっていた。貴族の間で流行ったという装飾経や、六道絵、密教法具が面白かった。印象的だったのは楽器を演奏しているという3体の仏像。極楽浄土の美しさを想像させるために作られたらしい。音楽に合わせて体を揺らしているような造形は、かしこまっている印象の強い仏像のなかでは異色だと思う。

 美術品を観る、という感じではないけど面白かった。かえりに国際子ども図書館に寄る。いつか読もうと思っていた本がたくさんあってうっとり。

http://www.kodomo.go.jp/index.jsp

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2006年1月30日 (月)

写真も生でね

 東京都写真美術館で開催中の植田正治展「写真の作法」はよかった。植田正治は以前から好きな写真家だった。砂丘シリーズの美しさの驚いて鳥取までマネをしに行ったこともある。けれども、以前の私は砂丘シリーズの人工的な美しさに、どこか作り物めいた冷たさを感じていた。しかし、実際にオリジナルプリントを目にした瞬間、その陽気な明るさに驚かされた。写っている人々が皆愉快そうなのだ。

 例えば展覧会のポスターに使われている「パパとママとコドモたち」。ポスターや写真集などで見た際には、その作為的な表層にいくばくかの冷たさを感じていた。それは、つまりこういうことだ。広告写真が「美しいモデルの写真」を撮った際に、そのモデル個人に対する愛情は表出しないはずである。広告に写っているのは個人ではなく、あくまで絵の構成部分であるからだ。私が以前の植田の写真に感じていた印象は、おそらく広告写真を見たときに感じる冷たさに近い。しかし、実際の植田の写真には撮る人と撮られる人の間の愛情や、植田の作為につき合うことへのくすぐったさ、のようなものがムンムン伝わってきた。しかも、そこにある明るさには暑苦しさがないのである。このような独特の陽気さは、なかなか他の写真家には見られない。

 さて、この植田正治の写真に、岩瀬成子が文章をつけた「かくれんぼ」という絵本がある。これがなかなかおもしろい。

 科学絵本を除くと、写真絵本にはあまりヒット作がない。いい絵本というのは文字と絵がお互いを打ち消しあわずに引き立てあうことによって成立する。しかし、写真には情報量が多すぎるし、なにより「写真に写っていることは事実である」というバイアスが、読者を絵本の世界に没入させることを拒んでしまう。

 しかし、この本では植田のどこか幻想的な、この世の物ならぬという雰囲気の写真と、岩瀬の子供のささやきのような抑制された文章が美しくマッチングしていた。福音館書店の月刊誌「たくさんのふしぎ」2005年12月号なので、まだしばらく書籍化されないだろうが、是非とも書籍化して多くの人の手に渡るようにして欲しいものある。

http://www.syabi.com/schedule/details/ueta.html

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2006年1月24日 (火)

少し前に出かけた美術展の話

 プーシキン美術館 

東京都美術館2005年10月22日~12月18日(現在、大阪・国立国際美術館にて4月2日まで開催)

「ロシアのコレクター、シチューキンとモロゾフのコレクションを収蔵した、プーシキン美術館。マティス、ピカソ等と同世代人である彼等の豊かな印象派コレクションが、今、日本で公開されます」

 といったふれこみのプシーキン美術館展。なるほど印象絵画のモネ、マティス、セザンヌ、ピカソ、ゴッホ、ゴーギャン等々、日本人の好きそうな画家の絵が揃っていた。

 ところでこうして形式と思想をある程度まで共有した画家達の絵を並べて鑑賞すると、その個性や力量が露わになる。ピカソやマティスと並べると、同世代の教科書には載っていない画家の絵がまるで引き立て役のようになってしまうのだ。オードリー・ヘップバーンの隣に座った並の女優がかすんでしまうように。

 マティスの「金魚」もピカソの「アルルカンと女友達」も、まるでそこにだけ強くスポットライトが当たっているかのような輝きを放っていた。

 ミヒャエル・ゾーヴァの世界展 2006年1月18日~1月23日松屋銀座

 ベルリンの画家、ミヒャエル・ゾーヴァの絵画展。暗い色調の不穏な雰囲気の絵に、ちょっとした悪ふざけが光るアイロニカルな作風で有名。また、映画「アメリ」では、その絵が重要な小道具として使用された。主人公の部屋に飾ってある、語り出す絵や電気スタンドは彼の作品である。

 一見重厚な画風なのだが、実際に見てみると青や茶の使い方が爽やかで、すっきりとした印象。その画風で、ハンバーガー(アメリカ資本主義的食事)に追い回されるソーセージやハム(伝統的食事)や、雪の夜にデートする七面鳥の後ろに、不穏な影が見えるなんて絵を描くのである。私が気に入ったのは、金色の脇毛を見せて微笑む女性の絵。絵自体はそれほどの絵画的魅力を備えているわけではないが、ドイツで販売されているポストカードには毛の部分にビロードが張ってある、と聞いてにやり。くそ真面目な顔をしてギャグを飛ばすという力技がすがすがしい。大雪の真っ最中であるにもかかわらず20代前半から60代までのさまざまな入場者で混雑していたのもわかる。(しかし脇毛がどうとか言ってる女はあんまりいないだろうなあ)

 ところで私がびっくりしたのはこの方の豚にかける深い愛情である。「高速豚」「スープ豚」「豚はでていけ」「渡り豚がやってきた」……。どれもすばらしい豚ばかり。豚、そんなに好きなんだ。

card_sowa_5508_S 高速豚

 

これはいいぶーちゃんですね。

 card_sowa_5506_S

 ぶーぶー

誤字脱字、及び本文を多少手直ししました。

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2005年12月 9日 (金)

近所で小人をおっかける

「スクラップ祭り~波止場へ」ぺぺ馬場キネマ劇場

12月2日(金)~5日(月)

午前10時~午後3時まで 4日(日)は午前8時から

街中に隠されたオブジェや絵を、地図を片手に探すという、オリエンテーリング式の展覧会です。ゴールは波止場に特設された冥土カフェ。たどり着くまでに、さまざまな裏・表併せ持った様々な道を通過することとなります。

簡単に言うと「辻 直之」氏と私「寺上 匠」によるコラボレーション路上ゲリラ展覧会である。

詳しく言うと、スクラップ祭とは、街の片隅でひっそりと行われる路上ゲリラ展覧会である。

-寺上匠さんのHPより

 カテゴライズするのであれば現代美術のイベント。だけど、現代美術にありがちな敷居の高さのない催しでした。事前に入手した地図を手に、街中に隠された作品を探すという方法そのものは、おそらくそう画期的ではないかと思います。ですが、探すという行為そのものをこれだけ楽しませてくれるイベントはなかなかないのではないかと感じました。

 街中の作品は、うっかりすると見落としてしまいそうなほどささやかなものです。大きさも小さいものは小指くらい、大きいものでも成猫くらい。「探そう」としなければ絶対見つからないであろうものも多かったです。「フィルムのように等間隔に四角い穴が開いている、電柱に巻いてあるベルト、その四角い穴の中に描いてある絵」なんて地図がなければ見つかりませんよ!

 しかし、そのささやかな作品を見つけるために、腰をかがめたり、堀川の汚い流れのそばに近寄ったり、波止場をうろついたりするというちょっぴりめんどうな行為がとても楽しいのです。会場は私が住んでいるところから自転車で15分くらいの場所。そんななじみの土地に、見たこともない裏道がたくさんあることに、このイベントではじめて気づきました。高架下に放置自転車が点在する茂みがあることも、崩れかけた背の低い壁が妙に生々しい公園があることも、今回のイベントに参加して初めて知りました。そうやって裏道、電柱の足下などを観察する感覚は、公園に手すりの塗装の禿具合や、よその家のすきまを犬にほえられながら通る近道に精通していた頃の感覚を思い出させました。

 ゴールは、私が以前から一度行ってみたいと思っていた横浜ボートシアター。船自体が劇場になっているという変わった施設です。最近は講演はしていないそうですが……。

 中は“冥土カフェ”と名付けられたカフェになっていて、飲み物食べ物をいただきながら、エンドレスで流れている映像上映を楽しめるという構造になっていました。私は甘いお酒の入ったコーヒー(正式名称失念)と、くるみ入りのマフィンをいただいたのですが、どちらもしばらく歩いて少し冷たくなった体にほっとくる味。居心地よくて眠くなりました。

 このイベントのなによりいいところは、作り手の意図が参加者にストレートに伝わってくるところだと思います。

 

まぁ、ナンダカンダいってもようは私たちは街にいたずらがしたくて、それを観客巻き込み、楽しんでしまおうというなのだ。-寺上匠さんのHPより

 上記は主催者の一人、寺上匠さんの言葉。「街にいたずらがしたい」というユーモアは率直に伝わってくるし、参加者もそのいたずらに参加したくなる。こういったイベントのなかで、これだけ両者の気持ちがきちんと共有できるということはなかなかないかと思います。

 ほぼ毎年、横浜で開催されているようなので、気になった方は次回開催決定するまで、そっと様子をみていてください。

詳細はこちら。他にもいろいろ近所で面白そうなことが起こっているんですね。

http://filmmaker.jp/modules/pepe/activity.php?act_id=13&page=0

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