2008年3月15日 (土)

深夜のアニメは大人向け?

ニュータイプが大人向けアニメというカテゴリで日テレ火曜深夜枠とノイタミナ枠を特集。

それぞれの枠のプロデューサーが、放映中の作品へのコメントを中心に、自らがプロデュースする枠のコンセプトを語ってました。ノイタミナ枠の代表は墓場の鬼太郎をプロデュ-スした松崎容子氏。日テレ火曜深夜枠の代表はカイジをプロデュースした中谷敏夫氏。

面白いのは、両名ともに「アニメは表現手段にすぎない」という主旨の発言をしながら、「アニメでしかできないこと」について自覚的だったこと。

特にノイタミナプロデューサーの松崎氏の必ず何か新しい目標設定しているという話は面白かった。パラキスだったらデザイナー使うとか、モノノ怪だったらアニメという表現手段の追求とか、のだめだったらドラマとの連動とか。

確かにノイタミナの作品って必ず次世代にノウハウを残せるような新しいことやってますね。もやしもんでは菌のCGとか、働きマンでは服装の追求とか、のだめだったら音楽の再現の追求とか。ああいうのやっぱり意図的に起こすものなんですね。

ビジネスの仕掛け人としての二人の発言に、共通項が多いところが面白かった。
誰が見ても面白いものを目指しているというのが感じられました。

たかだか4pだけど、この特集わりと面白かった。
深夜アニメのはじまりがエヴァの再放送だったとか知りませんでした。

しかし根底には現在アニメというメディアが、オタクと子供だけが見るものになっているという問題がある気がします。そもそも大人の反語は子供のハズなのに、この記事の文脈だと大人の反語がオタクに見えるという奇妙なことが…。

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2008年1月31日 (木)

秘密がアニメ化…!

コンビニに清水玲子の秘密があったので思わず手に取る。白泉社の単行本でA5サイズで少女マンガがコンビニ置きってなぜ?と思ったらアニメ化するんですね。

しかも日本テレビ4月からマッドハウス製作って…。しかも2クール。これはカイジの後番は秘密と言うことか?

日本の誇るドS人情家作家のもっともぐろいマンガが続けて公共の画面にということですか。うーん気になる。

でもカイジですら規制がどうこうって問題になってるのに秘密とかTV放送できるのかな…。

追記

上の文章の影響で清水玲子で検索された方がいらしているようなので、大幅に訂正。カイジの後は秘密?というのは完全に私の思いこみで情報元などはいっさいありません。

ただ、秘密のアニメ化というのがあまりに挑戦的な企画なので、「ということは…」という印象を持っただけです。

実は秘密アニメ化というのは、先週の朝日新聞のコミックブレークで知っていたのですが、きわどい描写の多い作品なので、やるのであればシグルイのようにWOWOWか、もしくは猟奇的な描写のない最初のエピソードだけを単発での放映、かと思っていました。それが地上波での放送となると、これは企画側が相当頑張ったか、原作を骨抜きにされたかのどちらかしかない。

しかし、製作会社は天下のマッドハウス。…ということは原作通りやってしまうのか→原作通りやったりしたらよっぽど局に理解がないと通せないと思うけど…。日本テレビ?→ということはまたあの頼もしいけどやかましい宣伝部長の中谷プロが関わってるのかな?

という順序で考えた結果「じゃあじゃあカイジの後番は秘密なのかも!」と考えた私の希望的観測です。別に中谷プロがまた吹いてるのを見たとかそういうことは一切無いんで。

でもカイジの後番が秘密だったらなんだか個人的にはうれしいのですよ。

どちらの作品も、普段手を出さない人たちに知ってほしい作品なので。カイジはアニメ化で福本ファンをかなり増やしたみたいだし、秘密も少女マンガだからっていう理由で読んでいなかった人たちにぜひ知ってほしいなあ。もっともマッドハウスだからっていい作品になる保証はないけど…。

さらに追記

やっぱり火曜深夜みたいですね。カイジじゃなくてネウロの後かもしれないけど。ところでこれもwikiに書いてあったんですが、日テレ火曜深夜アニメ枠ってスポンサーがいないそうですね。ということは他の枠に比べて、あれやこれが多少放送しやすいってことなんでしょうか。耳や指があんなことになったりや、猟奇殺人犯の脳内おひろめは放送できるのか…。

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2008年1月26日 (土)

監督の本気を見たよ

ポレポレ東中野の「食べる」映画特集は面白そうですね。

最近金欠で映画すら見に行ってないので、今度レイトショーでいろいろ見に行こうかなあ。

そんな書き出しですが、内容はまたアニメについてだったり…。

L・アタマーノフ監督の雪の女王公開に併せてジブリ発行の無料誌「熱風」に駿監督のインタビューが。雪の女王は監督にとって非常に思い入れの強い作品だそうで、自身の創作姿勢に重ね合わせて熱心に語る姿が印象的なインタビューでした。

さてしかし私がわざわざ書くのは監督の創作に対する理想や愛ではなく、インタビューの突然入り込んだノイズの部分。

--具体的に「雪の女王」で感銘を受けたシーンは?

宮崎 例えば山賊の娘が泣くときに、スカートを持ち上げて泣くでしょ。そうすると太ももが出るんですよ。実はその子がやさしい心を持ちたくている、本当は素直な子なんだっていうのが、映像で見事に表現されている。

太ももって…監督…。

魔女の宅急便大好きだった弟(次男)が、これを読んで

「俺今まで監督ロリコンとか揶揄しながら、でもこれって邪推じゃないかと思ってたんだけど、あれは本気だよね…。魔女宅好きだったから、駿が萌え萌えしながらあれを作ってたんだと思うとちょっとなあ」

「うん、トンボの友達のちょっとちゃらい感じの女の子たちが、イヤな子に見えるように演出してある部分とかそうだよね。原作ではああいう理由でキキを排除する人いないし、少女の成長が主題なんだったらあんなシーン入らないのに。“あんな露出の高い格好しなくていい!そのダボダボしたワンピースがいいんだ”とか思って作ってそうだ」

「絶対しょんぼりしてる少女萌えだよね。いや…嗜好は人それぞれだし、別にぜんっぜんいいんだけど」

いやもう最近の監督の描く少女はあまりにファンタジーだよね。だって物語が進んでピュアさがあがるとどんどん内面が空虚になっていって、ヘタレ男を保護できる無敵の少女になるっていうさ…。

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2008年1月22日 (火)

「シゴフミ」

毎日更新とか言ってさっそく行き詰まる。むっ無理矢理更新!

ええっと、このあいだ「シゴフミ」っていうアニメを見たんですよ。死者が生者に託した手紙=シゴフミを可愛い女の子が運んできてくれるっていう設定のライトノベル原作アニメ。

けっこう演出がよくてなるほどと思いながら見ていたんですが、ラストが衝撃展開。以下ネタバレのため白抜き。

廃ビルでロケット作りに奔走する男の子と、それを見守る女の子。ある日、男の子の元に届いたシゴフミ。そこには、彼女が実の父親を殺したと書いてあった。女の子に正否をたしかめようとする男の子だが、女の子に殺されてしまう。彼女は実はろくでなしの父親にAV女優をやらされており、幼い妹すら金儲けに利用しようとする父親を思いあまって殺してしまっていたのだ。逃げ回る女の子は、今度は男の子からのシゴフミを受け取る。そこには「気づいてやれなくてゴメンね」という趣旨の手紙が。男の子が作っていたロケットの発射台を目指し、廃ビルへ走る女の子。そして、ロケット発射の成功とともに、動揺していた刑事に撃たれて死んでしまう。空を見上げる女の子。そして、女の子の妹の元にシゴフミが届いてエンド。

何が衝撃ってあまりにも「戦時下のおたく」の言うとおりだったことがですよ。まんま引用で申し訳ないが、

女性をセクシャルな欲求の対象としてとらえるだけではなく、彼女らが持っている「内面」という物語に目を向けはじめた結果、男性はそのようなものを踏みにじりかねない自分の欲情(暴力)を自覚せざるをえなくなり、そこで改めて女性をいう他者と向き合うことになったという歴史がある。

しかし、そんな彼女の内面を理解しようとした結果、団塊の世代以降のある男性たちは、「彼女をわかってあげられる僕」という新しい特権的な立場を発見し、そこを新たな居場所としていったのだ。

「戦時下のおたく」p23~24 ササキバラ・ゴウ「おたくのロマンティシズムと転向」より。

あまりにも当てはまりすぎ!痛みの重さは追求しないで、「許してあげる僕」と「事故死」で、傷ついた少女の問題を棚上げするって、それは人としてどうかと。というか、単行本化の段階で、アニメ化の段階でなんでだれもつっこまなかったんだ…。それてもアニメと原作はストーリー違うんだろうか…。

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2007年10月14日 (日)

プレスコはいいよね

 弟(長男)がプレスコ収録方法の一部が特典映像に入っているというので、わざわざREDGARDENのDVDを借りてきました。プレスコは音を入れてから画を作るという今のアニメには珍しい収録方法です。
 収録って通常映像流しながら声を入れるんだと思うけど、REDGARDENでは絵コンテ状態の画面を見ながら声優が声を当てていたようです。声優が画面にいるのはどのキャラかを理解できるように、人物には色が塗ってあるけど、それ以上は何の絵も入れてない。作画チームは声優の演技を聞いて絵を作る。
 すごくお金がかかるのであまりできない方法らしいですが、REDGARDENではそれが上手く作品に生かされていたようでした。アニメ的デフォルメでない、人種の描き分けにもこだわったデザインとアニメ的でない演技がハマってた。

 しかし作中もっともプレスコの恩恵を受けたのはエルヴェこと子安武人かと。エルヴェは超がつくシスコンで、妹を思うあまり清純な美少女を騙して、ぶん殴ったり蹴っ飛ばしたりするわ、独断で突っ走って一族全滅させちゃうわというすごくあぶねーキャラだったんですが、こいつの表情が絶妙。

 皮肉な表情というあまりアニメでは見ない顔をするのですよ。今思うとあれは子安の演技にあわせてたのか。デザインが金髪碧眼白ジャケットという絵に描いたような美形なのもよかった。

 ギャグマンガ日和もプレスコらしいんですが、あれ、普通の収録だったらもっとつまらなかったのかなあ?

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2007年10月 8日 (月)

脚本会議ありかなしか

 「地球へ…」アニメ放映初期に、スタッフが繰り返しアツイ脚本会議を重ねているという話を聞きました。そこから私がイメージしたのは、「攻殻機動隊SAC」「精霊の守り人」の監督をつとめた神山健治が採用しているという“脚本合宿”でした。
 
 「精霊の守り人」のNHKBSでの放送に合わせ、「にんげんドキュメント」で、神山監督の製作現場に密着し、具体的なディスカッションの内容も含めて放送したことがあり、脚本合宿はその中で行われていた脚本の作成方法です。複数名の脚本スタッフと繰り返し言葉を重ねて、10時間以上も会議を重ねながら綿密に物語を構築していく様が面白く、「なるほどアニメのお話作りにはこんな方法があるのか」と感心したモノでした。

 さて、この番組、みながら「おっ?」と思った瞬間がありました。
 ある脚本家が「主人公バルサが、一瞬弱さや迷いを見せる場面を作りたい」という提案をして、現場のほかの脚本スタッフはそれにノッたんです。「あ、そういう場面あっても面白いよね」と。

 ところが、監督が「いや、もう一度考えてみて。本当にそれでいいのか?」と問いかけ直したんです。

 そして、最終的にこの迷いを見せる場面はカットされ、むしろあっさり苦労を引き受けるバルサのたくましさが前に出るエピソードに書き換えられていました。

 その後、オトナアニメvol4の監督インタビューで、「脚本会議をすると言っても最終的に決定するのはボクですから」というようなことをおっしゃっていて、「なるほど。複数人で作る場合には最終的にストーリーを統一されるための権限者が必要なのか」と思ったのでした。
 
  で、この間弟に教えてもらったのが、アニメスタイルに載っていた本読み(脚本会議)に関しての意見。シナリオえーだば創作術(首藤剛志)より

 http://www.style.fm/as/05_column/shudo89.shtml

 脚本は流れがあるから、言われた部分を直せば、全体が変わってくる。
 意見や注文をつける人達も、脚本全体から見てそれを言っているのかどうか分からない時がある。
 もしかしたらその場の思いつきの時もあるのだ。
 そんな意見や注文に、脚本が左右されるのは困りものである。

 http://www.style.fm/as/05_column/shudo91.shtml
 
 読みに参加するスタッフが、それぞれ原作を読んで、それぞれのイメージを頭に描いている。
 それぞれのイメージと違う事が脚本に書いてあれば、それぞれの意見や注文が飛び交うのは当然である。
 それを避ける手はひとつだけだ。
 原作どおりに脚本を書くことである。
 脚本に対して文句が出ても、「原作はこうなっていますから……そのとおりにしました」で、逃げる事ができる。

 「地球へ…」の脚本会議は、察するにまさにアニメスタイルに書かれたとおりの状態だったんでしょうね。
 アニメーションノートのインタビューで、ヤマサキ監督がコンセプトデザインの出渕氏の発想力に対して、「すばらしいですよね」と評していて、それ見た本編の微妙な出来に異論があった私は「監督がスタッフを太鼓持ちはまずいんでないの」と思ってたんですが、監督にはきっとあちゃこっちゃから出てくるアイディアを作品を完成させるために取捨選択する力がなかったんだろうなあと。脚本家の方の仕事内容を見る限りでは、監督の方が業界内の実績はなさそうだったし。
 
 地球の座標がわからないっていうのは出渕氏のアイディアらしいですが、その設定本編にまったく活かされてませんでしたし。思いつきですよね、きっと…。

 高名なアニメ監督って「仕事場ではむっちゃくちゃエゴイスト」だって聞くことが多いけど、(宮崎富野出﨑とか)アニメ制作という厳しい現場で一つの作品を作り上げるには、ある種のエゴを貫き通せる人でなくてはいけないのかもしれませんねー。

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2007年7月 1日 (日)

「地球へ…」その3

 すんません、このエントリは「地球へ…」のアニメと原作両方観てる人にしかわからない内容です。

 今日のアニメ(第13話・星に潜む者)観てて思ったんですが、アニメ「地球へ…」制作スタッフは原作に描いてあることの意味が理解できなかったんじゃないでしょうか。

 だから、「機械にプロテクトされていて心に立ち入れない不気味なキースを、それでも助けに行くマツカ」っていうのが理解できなかったんじゃないでしょうか。そうでないとキースを面倒見のいい上司にして、マツカにいろいろ親切にする意味がわからない…。たしかにこれだとマツカがキースになつく理由にはなるけど、原作の「お互いをわかりあえないもの同士が20年かけて信頼を築き上げる」過程はすっとびますね。わかりやすいフラグがないと人と人とのつながりは描けないんですか、そうですか。

 劇場版のキースもマツカに親切だったけど、あれはそのかわり出会いのシーンを変えてあったし、なにより自分の秘密を知ってるキースだったからな…。じっくり描こうにも時間ないし。TVアニメ版は劇場版の何倍もの時間数をさけるのに何で話が簡単になるのか、理由がよくわかりません。

 あとピアスの話でないね…。でも変な描かれ方したらまた怒るからもうただのアクセサリーでいいのかな…。「危険な不純物は排除すべきだ」って言ってるくせに、自分に与えられた役割に逆らえないで最後の最後まで突っ走っちゃうくせに、血入りのピアスとかしちゃったり、自分が滅ぼすべき集団の異端児をそばに置いちゃったりする矛盾の多い人間だから魅力的なんだよね、キースは…。自分の出生の秘密を知らないキースがジョミーに「ロマンチストだな」って言われてもたぶんそこに悲哀ないな。せっかく子安使ってるのに複雑さに欠けるキースって…。

 うっかりキースの話ばっかりだけどジョミーも変だった。だって、フィシスが深層心理の底まで行ってブルーと対話することによって、はじめてブルーとは違う“ソルジャー・シン”が読者に認められるんじゃないですか。そうして生まれたソルジャーだからこそ、補聴器を必要としないし、生まれながらの戦士キースと戦えるっていう話じゃないんでしょうか。まあブルー生きてるから同じにしようがないんだけど、それなら原作と展開を変えるべきでは…。

 アニメと原作が違うって言うのはぜんっぜんかまわないと思ってるけど、それならそれなりに考えて作ってくれー。再構成っていうのは切り貼りすることじゃないよ!

 ジョミーがパーマンみたいに飛んでるっつーセンスの無さもなんかなあ…。センス・オブ・ワンダーがねえ!

 すいません。ただの愚痴でした。

 追記

(そういやマツカがはやばやとキースになついちゃったから、サムの死の場面っていらなくなるんじゃ…。くそっ、あのマツカがコーヒー入れるとこめっちゃ好きなのに。でもアニメではサムがキースにコーヒー入れてないから、たとえあったとしても意味は薄れるか…。12話のお見舞い場面がサムの最後のターンだったら泣く)

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2007年6月28日 (木)

「地球へ…」その2

mixiに書いた文章をサルベージ。

「地球へ…」竹宮惠子読み返してみました。
 すごいなコレ。

 いろいろすごい箇所いっぱいあるけど今日的な意味で強い意味を持つのはこれだ。

「管理社会というのは人間の依存心が生み出したもの」ってことを突いてるとこ。

 弱者を蹂躙して利益を吸い上げるわかりやすい権力者がいるってことにしてない。

 以前の日記にも書いたけど、「地球へ…」は度重なる環境破壊の果てに、自らを管理しきれなくなった人間が高度化したコンピューターに社会を管理させているっていう設定のお話です。これだけだとよくありそうな感じですが、印象的なのが「マザー・イライザ」というシステム。

 人間は人工授精で試験管の中から生まれて、14歳までを機械が指定した「理想的な養父母」のもとで暮らします。14歳の年に成人検査と称される試験を受け、それまでの記憶を消去して、まっさらな状態に戻す。そして養父母の元から離され教育施設の中で「理想的な大人」になるために教育されます。

 引き離された養父母の変わりに、少年少女たちにあてがわれるのが「マザー・イライザ」。揺れ動く思春期の子供たちに常に適切なアドバイスをして精神の平穏を維持させるというシステムです。

 友人とケンカしてもやもやしてても、悲しいことがあって落ち込んでても「マザー・イライザ」に相談すればイッパツで気が晴れる。便利です。

 しかし、そうやって生きてきた人間たちは、最後の最後。自分たちを育ててきたシステムが破壊されそうになる前兆の日に、事態を直面しようとしないで「マザーなら気分をよくしてくれる」って機械の与える癒しに逃げ込もうとするのです。

 そうなんだよ…!監視社会とか全体主義社会ってのは、実は「そのほうが楽」って思った、支配される側である大多数の承認を得てはじめて成立するんだよ…!

 原作最初読んだ時は情報量が多くて意味がわからなかったんだけど、よかったよ読み直せて。しかし暗いなラスト。そこがいいんだけど。

 今やってるアニメの出来は「この作品のいいところは全て原作のおかげ、悪いところはすべてアニメ制作陣の勘違いと力量不足のせいです」という感じですが…。(←元ネタは黒田硫黄・映画に毛が三本。ほんとはピンポンを評して「この映画のいいところは全て原作のおかげで、悪いところはすべて窪塚のせいです」って書いてある)

 

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2007年6月23日 (土)

「地球へ…」

 アニメの影響で「地球へ…」を読み返しています。(去年買って一読してたけど、ざっと読んだだけでは意図を理解できないハードな話だったのでそのままほっておいた)

 改めて読むと、お…おもしろい。竹宮惠子はいい…。

「地球へ…」は、超能力者になってしまったことで社会から排除されていた、ミュウと呼ばれる超能力集団のリーダーをつとめるジョミーと、高度に管理された社会の維持のため、リーダーになるべくして生み出されたキース。二人の主人公を有するマンガです。

 さまざまな観点から読み解くことができる濃いマンガですが、読み返して私の心にもっとも強く残ったのは主人公二人の不幸っぷりでした。ネタバレになっちゃうからくわしく書かないけど、もっとも傷つくような形で友人を死なせたり、仲間から糾弾されるような状況に追い込んだりと登場人物の追いつめ方がすごい。どんなSMマンガよりSMですよ、これは。「竹宮先生ドS…!」とか思った。

 竹宮惠子って「風と木の詩」の印象が強いからすごい前衛的な作家だと思われてそうだけど、私はこの人の作品のヤングアダルトっぽいとこが好きです。児童文学っぽいと言い切ってもよい。誰かの成長の種になるような常に作品を心がけてるところとかが。「説教くさいみたいなこと言われがち」ってコンティニュースペシャルのインタビューに書いてあったけどわかるなあ。まじめに教職目指してたってのもすごくよくわかる。あの人は実は藤子不二雄と並ぶ児童マンガ作家なんですよ…!

 とか思ってたら村上和彦も指摘していた様子(いけさんフロムFR・NEO RE )。「地球へ…」とか「エデン2185」とか図書室にこっそり入れておいて、いつの日か少年少女のトラウマになるといい。

 アニメではそういう教育者っぽい目線とか、登場人物への厳しさがカットされていて残念でした。

 っていうか(以下ネタバレのため反転)。自尊心の強い努力家のシロエが「働きたくなーい」と叫んで死んじゃうとか、サムがジョミーを刺すシーンがサムの意志じゃなくて、マザーイライザの洗脳のせいになってるとか、ジョミーが全体的に中二すぎるとか、ソルジャー・ブルーはなぜまだ生きてるのかとか、いろいろつっこみどころが…!! なんかみんなあほの子で今後の展開が心配です。原作と違うってのは全くかまわないんですが、「それをやったら竹宮作品のアニメ化である必然性がないのでは」ということをやられるとへこみます。攻殻機動隊や、出崎アニメのように原作よりおもしろい瞬間が多々あるのなら問題ないんですが…。

 

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2007年4月20日 (金)

こんなところに直木賞

 出崎統監督の劇場用ブラックジャックを観ていたら、エンドクレジットに森絵都の名が!

 そうか、どおりで…。これに出てくるピノコや、映画オリジナル女性キャラ、ジョー・キャロル・ブレーンは、いまのとこ出崎監督作品の中でもっともいい感じの造形の女性キャラクターなんですよ。

 たとえばピノコ。映画中盤でブラックジャックを利用しようとする悪党に、人質に捕られてしまいます。狼狽するブラックジャックの前に、ホテルでくつろぐピノコの映像が流されるので、視聴者は一見ピノコが事情を知らずに遊んでるのかと思ってしまう。しかし、ベッドの中で「ピノコ、ニンタイしてゆんやかや」と涙を流す姿が写る。実は全てを承知していてブラックジャックを心配させまいとはしゃいでいることが、わかるんですね。

「やるなあ! 監督」とか思ってたんですが、そうか森絵都のおかげだったんですねー。

 もちろん「このエピソードは森原案」なんて書いてある訳じゃないですが、なんか普段の出崎監督が描く女性ってあんま魅力的に感じられないんで…。絵に描いたような紋切り型か、男性を描く時の方法論で描いてるかのどっちか。もっとも「雪の女王」「AIR」「白鯨伝説」「ベルサイユのばら」「劇場版あしたのジョー2」しか観てないんですが。しかしオリジナルアニメの「白鯨伝説」観ると、「監督絶対、女の人ってよくわからんと思ってるなあ」と感じてしまって観ててしんどいものがあります。

 ジャンヌ? オスカル? あれはかっこいい男を描く時の方法をそのまま使ってるからなあ…。魅力的なんだけど、あこがれの対象にならない感じなんですよね…。結局二人ともうつむいて死んじゃう感じだし。

 その点、映画のジョー・キャロルはすごいです。ネタバレになっちゃうからくわしく書けないんだけど、自らの信念のためなら他人を傷つけることも厭わないっていう信念の人で、さんざんブラックジャックを利用しておいて最後までまったく悪びれない。ブラックジャックの強さに引けを捕らない好敵手として描かれています。「これはイイ! 監督えらい。いつもとちがう」と思ってたら、森絵都が関わってたのかー。

 この映画、かなりヒットしたらしいですが、それはきっと出崎&森タッグの脚本のおかげだと思います。

 あ、一応言っておくと、出崎テイスト満載のハードボイルドな間黒男は大塚明夫の声と相まってすごくかっこいいです。映画自体も、映画として面白い、水準の高い作品です。

 (追記:5月5日)なんて言ってネット徘徊してたらこちらの記事にこんな文章が。

 ova版BJで出崎監督が最初はピノコは要らない存在だと思ったという話は有名ですよね。(中略)出崎監督的には体は小さくても18歳でBJに恋心を持っている。子供扱いはしたくないので、作品中ではBJはピノコを子供扱いしていないということからピノコ語も少ないのだとか。だから、水谷さんにはピノコを大人らしく演じて欲しいということで再びアフレコをやり直したそうです。                                            (てづかっ子な日記)

  最初いらないと思ってたような人が正しくピノコを描けるっつーのがすごいなあ。OVA版のピノコは時々ナレーション役に回るのですが、ナレーション時のセリフは全くどもっていなくて、むしろ大人の女性という感じのしゃべり方をしているのです。ピノコを子供扱いしないってすごくいい演出だと思っていたのですが、うーむ監督指導でしたか。

 実は私、出崎監督のことだからピノコ登場させないんじゃないかと思っていたんですよ。だから、OVA&映画版で魅力的に描かれていたことに喜びつつ驚いていたのですが、やっぱり最初はいらないって思ってたかー。でも、それなのにキチッとピノコを描けることをむしろ賞賛したい。やっぱプロは視聴者の上行きますね。

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2006年11月29日 (水)

「攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX Solid State Society」

 西暦2034年。難民蜂起事件から2年が経過していた。新人20名を増強した新生公安9課に新たな事件が舞い込む。「梵」の刺青を入れた13人のテロリストの連続自殺事件に絡む、空港人質立て篭もり事件の鎮圧だ。

 だが、公安9課に追い詰められた立て篭もり犯は「傀儡廻が来る」と言い残し、自らの命を絶ってしまった。時を同じくして数々の難事件が同時に多発していく…その影に潜む超ウィザード級ハッカー「傀儡廻」の存在。

 新生9課の前に次から次へと立ちはだかる難事件。そのすべてが芸術的にリンクしていく。「傀儡廻」とは? バトーと草薙は? 「傀儡廻」と草薙の関係は? すべての事件の犯人は? そして結末は? 謎が謎を呼ぶSolid State Society。

 攻殻機動隊『STAND ALONE COMPLEX』の歴史にまたひとつ傑作が生まれようとしている。

 こちらからコピペ↑ 

 神山健治監督は「社会の中の個」にこだわる人なんだなーと改めて確認。前作と比べるとエンタメとしての快感度は低いけど、視聴者の期待を見事に裏切ってくれるオチはすごいと思いました。というか、あのオチだと快感度を高く設定できないのかな? 正義を疑う物語だから。(ネタバレ反転)身勝手な正義感から生まれた集合的無意識が暴走するってSFというより社会学のロジックですよね。最後の会話にも社会は個人が拘束しあうことで成立するという考えが反映されている気がしました。

 素子とバトーの愛の物語観察者としては、ちょっと物足りなかった…。

 でもラスト、(ネタバレ反転)子が目覚めたとたんに出てくるバトー(いま来たように見せかけてるけどずっとそばにいたとかに違いない)とか、秘密を共有してちょっと喜ぶバトーとかは面白かったです。

 それにしてもこの監督が精霊の守り人をアニメ化するのかと思うと楽しみで仕方ありません。しかもNHKBS!偕成社も上橋先生も幸福だー。

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2006年11月25日 (土)

「GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊」レッツ失恋行

 私はこの作品のテーマである、肉体が意味を持たなくなった社会でアイデンティティをどう定義するかとか、たとえ電子空間においても、意志と思考が存在すればそれは生命と呼べるのかとかそういうことについて思索を深めるつまりはあまりなく、もっぱら素子とバトーの関係に焦点を置いて鑑賞しておりました。

 いやあ…。「イノセンス」「攻殻機動隊 S.A.C 2nd GIG」「GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊」の順番で観ましたが、あれだ。バトーの素子に対する愛情は今世紀最大の純愛かもしれない。

 求道者・素子の内面は誰にも理解できない。バトーは素子のことを大切にしていて、そっと仕事仲間以上の優しさをみせたりするんだけれど、決して一定以上近づけないことがわかっている。だから、二人の関係は絶対に進展しない。だけど、バトーは素子が死にそうになったら自分が死ぬリスクを冒してでも助けに行くし(S.A.C 2nd GIG)、自分を置いて別の次元に旅立とうとする素子を見送る役目を引き受けたりする(GHOST IN THE SHELL)。

「S.A.C 2nd GIG」での行動は、旅立とうとする素子を引き留めようとするポジティブさがありましたが、「GHOST IN THE SHELL」は旅立つ素子を引き留めることができない自分の無力さを感じながら、旅立ちに手を貸すという苦行に走る…。普段は少佐って呼んでるのに、彼女がどこかへ行こうとする時には「もぉぉとぉぉこぉぉぉぉ」と叫ぶバトー。「GHOST IN THE SHELL」では、素子のゴーストを入れるための義体をバトーは自らのセーフハウスに運び入れる。目覚めた素子に、「ここに入ったのはおまえが初めてだ」「もしよかったら好きなだけいていいぞ」というバトー。精一杯の告白。しかし、何の迷いもなく出て行く素子。そんなに素子のことが好きだったのかバトー。まったく報われてないのに。見終わってから、彼のあまりの不憫さに脱力してしまいました。

 あ、TVシリーズと映画は、監督が違うから別物って考える人もいるだろうし、私も監督が書きたいものがまったく違うなあと感じているのですが、素子に尽くすバトーの構図は監督によるギャップがそれほどないかなと思ったので。素子の描き方はまったく違いますけど。

 しかし「イノセンス」がもう一度見たくなりましたよ。岡田斗司夫が「イノセンス」をドSの悪女にドMの男が振り回される話と表現してたけど、わかる。そんで

 事件後、性悪女は「でもいつも近くにいるのよ。おバカさんは気づかないだろうけど」(意訳)とか抜かして消える。残った義体だけ見て、またバトー君ハアハア
 

 という言い方をしてたけど、今度「イノセンス」を観たら私がそんなバトーにハアハアしそうですよ…。映画版の素子はネットの世界に飛び込むことによってわたしらの住んでいる社会から解脱して新しい次元に行ってしまったけど、バトーは失恋という針のムシロに座り続けることによって新しい次元に行き着こうとしているんでしょうか。レッツ失恋行?

 

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2006年11月24日 (金)

「攻殻機動隊」コンプレックスマッチョ

「ほらほらバトーだよ。バトー」と弟が言うので、「なんでいちいち教えてくるんだ」と返答したら、「だって、Tちゃんコンプレックスマッチョ好きじゃん」という答えが返ってきた。コンプレックスマッチョ…。さすがおたく。隠語をつくるのがうまい。

 バトーと言うのは「攻殻機動隊S.A.C. 2nd GIG」というSFアニメに出てくる登場人物。強面のサイボーグで、目には義眼をいれ、目の表情が知れないようにしてある。でも、態度に表情が出てしまう。上司の草薙素子に敬意と愛情を抱いているんだけど、素子には仕事仲間としか認識されて無くて、しかし彼女が死にそうなときは自らの命を投げ出してでも助けに行く。正しくハードボイルドで浪花節なおっさんだ。

 外面は怖いんだけど内面は繊細。それがコンプレックスマッチョ。京極夏彦のシリーズに出てくる木場とかもそうか。たしかに好きだ。

 ところでこのアニメはすごく面白い。2004年1月、SKYPerfectTV放送だそうだけど、9.11以後にこんなに強固にテロを物語に組み入れてるエンターティメント作品があったなんて知らなかった。

 「テロリズム」「難民問題」「大義を背負った戦争」といった政治的背景や社会的背景が、キャラクターの行動の口実ではないところがいい。社会というのが、キャラクターのための背景ではなくて、社会集団に組み込まれた個人として動くキャラクターが書かれているところがえらい。「テロリズムを生み出す環境」「テロリズムを悪用しようとする権力」をちゃんと描いているところにしびれる。戦争って、トクするやつがいるからはじまるんだっていうのをうまく伝えてる。

「社会にはシステム自体が望む人格というのが確実に存在する。人はそれを渇望する。なのに、そのことに関してはいたずらなまでに無自覚だ」

 なんて言われたら元社会学部生(劣等生だったけどな)としてはワクワクドキドキしないわけにはいかないだろう。

 んで、骨子であるテロを巡る物語の合間に、番外的なハードボイルドエンタメ挿話が入るんだけれど、これがまた巧いんだ。おそらく多くのドラマから原形を借りているんだろうと思う。天使の詩とかもろにそうだし、西部劇を思わせる描写とかよく出てくる。けど、枠組みはどっかのドラマから借りてきたモノでも、ちゃんとこの作品の登場人物なら、世界観ならどうするのかって選択が描かれているからオリジナルなんだ。ううむ感じ入る。さらに、内容をよく理解せず、アクションシーンだけでも見ても楽しめるくらい映像の快感度が高い。

 しかし一般に内輪受けの印象の強いSFで、こんなエンタメをつくるとは。かなりの高さのハードルを乗り越えて生み出された作品だ。こんなに面白いものがこっそり深夜に人気を博していたとは…。もったいないことだ。

 

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2006年6月28日 (水)

「ゼーガペイン」繰り返す夏

 「アニメと戦争」という本があったらぜったい買うんですが。だってアニメって戦争ばっかやってるし。
 世相と文化をムリに絡め合わせて批評すると双方ともねじ曲がってしまう可能性大いにありですが、現実の戦争の変化と、アニメの中の戦争の変化を並べて観察できたら面白いと思うのです。

 ところでゼーガペインというアニメが面白いです。
http://www.zegapain.net/top.html
 一見普通のロボット戦闘SFアニメなのですが、ひとつとんでもない設定がつけ加えられています。
 それは、「実は、戦っている主人公と仲間たちは、現実では全て死んでいて、今、戦っている彼らは全てコンピューターに残ったデータである」というものです。
 彼らが戦っている敵がいったい何なのかは未だ謎なのですが、その敵によって人類は滅亡させられ、残っていたデータが敵に戦いを挑んでいるそうです。しかも、主人公たちは自分たちはすでに死んでしまっていて、今ここにいる自分はコンピューターのデータであることを自覚しながら戦い続けているのです。
 データならいくらでも再生できるじゃないか、と思わせておいて「データの劣化による死」というものも存在します。
 また、一度敵にやられて死んだ後、再生はしたものの、以前の記憶が消え去っていて、かつての恋人にすっかり忘れ去られてしまった、という状況もあり。
 救いがない。
 舞台は夏で、彼らは高校生です。もちろん、夏というのもデータが作り出した空間にすぎないのですが、作品内に流れる静かな夏の空気に心を揺さぶられます。始まった瞬間から終わりを想ってしまう季節というのは夏だけではないでしょうか。しかし、作品の中で夏休みの終わりに、世界が消滅もしくはリセットされていることをほのめかす描写もあり、油断がなりません。
 敵は何者なのか? 彼らはどうなってしまうのか? ラストが気になります。
 萩尾望都の「金曜の夜の集会」みたいに、閉じられた未来を前に、またあの夜を何度でも繰り返す、なんてラストじゃないといいなあ。

 コピーは「消されるなこの想い 忘れるな我が痛み」。最初は「気障だなあ」と思っていたこのコピーが見ているうちに胸にしみるようになります。

それにしても「会社を辞めて、何か変わりましたか?」
と問われると、「そうですね、時間が余っているのでアニメを見るようになりました」と言ってしまいそうな今日このごろです。

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